話して面白い人は比喩が面白い人です。「○○じゃないんだから」という突っ込みが面白いですね。いわゆるシステム屋という分野の方々にもこういう方は稀にいらっしゃいます。私の好きな道楽は、そういう方との邂逅をすること、そして、雑談で過剰に意気投合することです。

  こういう方は、文章を読んでだいたい見当がつくこともあります。間違いなく、電気情報通信学会誌 平成18年1月号で「芸術の情感は工学で高められるのか」は面白いです。書いたのは、文章的にも初対面の林正樹氏という方です。私はもちろん面識も無い。ですが、才人だろうななと想像します。才気煥発とはこういうことを言うのでしょう。

  この方の文のメッセージは私は以下のように受けました。

  エンジニアてえのは昔はてえと、中身に適した手段ってものを用意したはずですな。絵の具だって楽器だってそうでしょ。その絵を描きたいからこの絵の具ってえのがあったはずですよ。それにくらべて最近の情報技術てえのは何でしょう?いかに中身と関係しないか、てな感じですよ。こいつはオカシイですねえ。

  引用をしてみます。

  「出力に現れる何らかの創造的効果を技術者が判定できる感性さえ養えば、伝送にわざと秘けつをもってひずみを加えることで、伝送が一種の創造的価値を産む可能性が開けるではないか、ということであった。」「これを極端に推し進めれば、技術者は既に、今までのように創造の外にいるどころか、創造者そのものになる。」(p.23)

  そのキーとなるのは「アナロジーを見いだす工学」ということだそうです。なんと心強い復権宣言でしょう。

  「人間は、自分の中でその関連性を見いだせない現象について、それを『偶然』といういい方でくくる。そして、人間が何か新しいものを発見するとき、そこにはまだその発見はなかったわけなので、それはかつて偶然として処理されていたものである。この偶然というものは、何らかの愛情の力で、ある人に、あるとき、突然その真相を明かすのである。たくさんの、良い偶然に囲まれていることが重要だと思う。そして良い偶然をどうやって提供するか、ということは工学的主題になり得ると思う」(p.24)「工学者自身が芸術的な価値を探り出せる感性を持つことが必要なのだろう」(p.25)

  編集の技術というようなことと似ている。エディターシップというような本を前に読んだことがあることを思い出しました。

  さてさて今、この時点で私はサラリーマンやっています。だから関与しているのは芸術ではなく、経営です。そこにも、上の林氏の指摘はそのままあてはまるのです。この変動の時代は経営価値をエンジニアの方が早くつかむ可能性がある、ということです。

  私はそれを組織を横断する価値ではないかと思ってきました。組織を横断して人を集め、彼らに語らせ、事実を数値で測って印象をあおりながら意見を擦り合せる。能動的な聞き手であり、人々への誘発の書き手であること。ここに私は可能性を見出しています。現場密着だが組織横断、業務密着、而して既存のアプリケーションからみた「上流」ではなく、本当の「上流」に立つこと。技術者、工学者にはそれができるのではないか、と思い込んでおります。