ジョナサン・スウィフト『ガリバー旅行記』岩波文庫〔1726〕(岩波文
ジョナサン・スウィフト『ガリバー旅行記』岩波文庫〔1726〕(岩波文庫は1980年発行)を読みました。
面白い本です。面白いということが大事です。面白いことに十分に感謝します。面白く無ければ約300年前のイギリスから、今日の日本の読者(私)のところまで、本書が伝わることは無かったでありましょう。
著者からうけとめたのは「言葉への信頼」「物語に託すという気持ち」というようなものでした。著者が順境でなかった(と思われる)時期に、言葉のもたらす効果に賭けたこと、フィクション、笑いの可能性・力を示してくれたことに感謝いたします。読者(私)はこの可能性におおいに感銘致しました。
【1】大筋
この物語の柱は最終章である「フウイヌム国渡航記」だと思います。
第一章、第二章は有名なリリパット国(小さい人の国)のお話とブロブディンナグ国(大きい人の国)のお話です。ここで「人間の行動や感情を今までとは一変した角度から眺め」(p.364)ということへ読者を慣らしてくれます。リリパット国とブロブディンナグ国のお話があるからこそ、読者はラピュータ、バルニバービ、フウイヌム国に入ってゆけるのだ、と思います。
「フウイヌム国渡航記」はまとめると下記のようなお話です。
(1)ガリバーはフウイヌムの国に流れ着いた
(2)ガリバーはそこでフウイヌムの主人との対話を通じてフウイヌムを尊敬した。
(3)ガリバーは美徳の国フウイヌムの国でヤフーの本質を理解した
(4)ガリバーはフウイヌムからみればヤフーとみなされてしまう宿命があった
(5)ガリバーはフウイヌムの国で一生を送りたいと願った
(6)だが、ガリバーはフウイヌムによってヤフーとして退去を勧告される
(7)ガリバーは帰国後は軽蔑するヤフーの中でヤフーとして暮らさなければならなかった
【2】動機を推測
本を読み進むにつれて、著者がなぜこの本を書いたのかに興味が募りました。書いた動機を推測したくてしかたがありませんでした。
推測は以下です。
(1)これを書いた頃、著者は何かにとても腹を立てていた
(2)それは身体に変調をきたすくらいの怒りであった(完全な邪推です)
(3)どうしたものか。いっそ自暴自棄な行動をするかどうかも十分迷った(完全な邪推です)
(4)その憤怒をどうしようかと考えた。最終的には、その憤怒を言葉によって昇華しようとした
(5)だが、言葉といっても愚痴や告発調の文章では芸が無い。
(6)いっそ笑えるものにしようと思案した。
(7)大笑いした上で、しかも著者のメッセージも伝わるようにしようと本書を企画した。
では、著者の身に起きた怒るべき事態とは何か?
現時点では読者私にはジョナサン・スウィフトについて知識はまったくありません。
本書を読み、推測をするしかありません。下記のように推測しました。
(1)著者はとても意に沿わぬ境遇に置かれた
(2)著者が最も軽蔑する悪徳な母集団の一員にされたのではないか
(3)外部からみると著者はその母集団の一員であると見えてしまう
(4)だが、著者の内面の美徳はその母集団の持つ特性とまったく相容れなかった
そこで、このようにストーリーを組み立てたのではないかと推測しました。
(1)その軽蔑すべき悪徳の母集団をヤフーと見立てた
(2)著者の内面にある美徳をフウイヌムと見立てた。
(3)ただ特定の集団や組織を想像させるのは野暮なので避けて
特定の集団・組織を思わせぬように工夫をした。
→ヤフーを人類全般に広げた。対象を広げた。
→フウイヌムを「馬」として突飛な設定とした。
(4)喜劇的な効果を十分に狙った。
(5)その喜劇の中に主題・メッセージを織り込んだ。
このストーリーは喜劇的には書いてあるけれども、とても毒が強いものです。
そこで、この毒の強い「フウイヌム国渡航記」よりも先に、どちらかといえば絵が面白いタイプの2つのお話、リリパット国とプロブディンナグ国の紀行を書いたのではないか。この2つのお話が面白く、この2つがメインで後世まで語り伝えられるほど面白いというあたりが芸の力だと思います。さすがです。