小浜逸郎『頭はよくならない』洋泉社新書Y [2003.3]
  
【1】感謝

    あたりまえのことを言う人が必要になってきました。昔はてえと、身の回りにあったりまえのことを言ってくれる人がいました。だから人を騙くらかそうとする悪い輩が甘言を弄んで近づいてきても、「ああいうのは近づいちゃいけないよ」てんで、助けてくれたもんですよね。身の回りにこういう機能がなくなってきたんですよね。これは困難であります。これを克服するためには、誰かが代替してくれないといけないわけです。そこに価値てえものがあります。著者の小浜さんはそういう方です。

   知識人という商売のこのへんの倫理については、ご自身でも間接的に書いておられます。(p.135)

小浜さんがありがたいのは、頭がいいってのは何か、というのを解き明かしてくれいるところです。まず、人間の本質は共同体的な関係であると。それと円満に交信できるのが情緒ってやつだと。で、その上にその情緒に支えられた理解力ってのがあるんだよ、と述べられておられます。自分の職業である情報システムというものでの比喩で言えば、以下【2】のように言えると思います。


【2】情報システム的な比喩で受けとめてみました

  要するに「ネットワークがあってOSがあって、アプリケーションがあるように共同社会というものがあって、そこに交信できる情緒というOSと、その上にある理解力というアプリケーションがあるぞ、と。で、OSの性能はアプリケーションの性能と明々白々の正の相関がある。そして、OSの性能は人によって厳然と決まっている。そして、その機能はとても大きい個人差があるよと。だからそこと相関する理解力もそうだと。で、その差ってのは、まあ、たいていは、ちょっと見ればわかるし、それほど良くなるもんでもない。で、頭がいいということはOSも宜しいということも成立する。さて、共同体というネットワークを維持するのが、そこに属する人間にとっては好ましいわけですね。だから、そのネットワークとちゃんと交信できる良いOSを持つ人材が、仕切りをするようになる、エラクなるってのは良いことだ」という話ですね。

  で、教育ってのも、このへんをよおく勘案してくださいよ、というメッセージですね。OSのはたらきってのをちゃんと鍛えないとだめですよ、というわけですね。共同社会と個人とのインターフェースはこのOSのところでやっているわけだから、ここんところが大事ですよ、というところですね。それでもって、個々のアプリケーションの部分、まあ職業適性のようなところでどういう活躍をするかは、そのOSの程度を自覚して、自分で決められるようにしてあげよ、と。


【3】ありがたい点

  いいですねえ。よく理解できます。基本として、頭のいい人が仕切りをするてえのはいいことじゃありませんか、ってんですよね。あたりまえですよね。バカな仕切りってのは厭なもんです。
 
  そして、頭がいいか、悪いかってのは、厳然として「ある」し、まあ、たいていは「ちょっと見ればすぐわかる」もんだと書かれています。これも理解できます。ホントそうですよね。著者は塾を経営されたことがあるそうで、そうなれば30分ほど個別指導すれば「たちどころに判断できる」(p.72)もんだそうです。こういう実地経験の裏づけは貴重ですよね。


【4】役に立つ点

  タイトル通り「頭はよくならない」のだから、自分の限界について「健全なあきらめ感情」(p.266)こそが重要であるというメッセージは役に立ちます。生き方の基本ともなりますね。まあ、運とでもいうもんですね。運を受けとめよ、ということですね。私なりに理解しました。社会人なら誰でも感じることでしょうが、やりたい仕事が来ない、なんてのもこのへんに相関するもんでしょうね。だから「来た仕事」が「向いている仕事」なんだと捉えてがんばれ、というような生き方と解釈しました。とても納得しました。

  
  著者は巻末では「下品で挑発的な本」とおっしゃっておられますが、とんでもない。上品で前向きで、励ましに満ちた、慈愛に満ちた本だ、と思いますよ。


以上