平野裕之『限りなく受注に近い生産』日刊工業新聞社[2001.5]

 実は思想の本ではないか、と思います。ライン化の時代だ、とおっしゃっておられます。「大」から「小」への時代であるということです。映画館や銭湯が退いたのは、バッチ処理だからだ、と分析されています。そこでロットを小さくせよ、リードタイムを短縮せよ、在庫を持つな、という本です。

  実務的な本です。実務現場の香りがしますね。説得力があります。文体も力強いし、熱弁ですね。しかもわかりやすい。おそらくライブは迫力あるのだろうなあ、と容易に想像できます。

  圧巻は生産特性に応じた問題の解決を説明されているくだりですね。いろいろと問題を挙げて、こんな解決方法を巷ではしているね、と述べられておりますので、静かに類別でもするのかな、と思いきや、ここから一気に否定です。怒涛の進撃が始まります。

  いずれの解決方法も「その本質を改革・改善しようとせずに、どうも顧客から離れようとする安易な方法を選択しているように思える」(p.63)鋭い方ですね。「製品の規格化」「標準部材の在庫、平準化など、どれをとってもその解決策は、なんだか顧客から逃げよう、離れようとしているように見えるのだが、いかがなものだろうか」(p.63)なるほど。一見良さそうですね、これらの施策。でもダメなんですよね。

  ここから当方は勝手に自分の思考に入ってしまいました。ソフトウェアつくりの仕事のことです。平野様の論調でいけば、ソフトウェア作りの改善というのは「部品の規格化」でも「リポジトリの充実」でもないのですね。なのに社内業務利用ソフトウェアの内部調達をするような仕事の世界では、こっちの方向にばかり研究が進みますね。なるほど、だからダメなんですね。

  平野様流に言えば、利用者に近づくことですね。リポジトリERPに逃げるな、と。フレキシビリティを追求せよ、というわけです。カネを出すな、であります。在庫を持たないのだから、引き付けるわけです。だからなるべく情報技術で固定しないという発想になりますね。項目定義なんかダメ。帳票定義なんかダメ。正規化なんかダメ。データベースの「フィックス」などといっていてはダメですね。そもそもデータベースなんか関係無いんですよね。「彼らは買う品物を使うこと、すなわち『使用』のことしか考えていない」(p.63)のだから、データベースなんか露出させるのはダメな手筋ですよね。さらしすぎ、見せすぎです。はしたない。汎用的なPCなんてもってのほかですね。そういうのは見込みで作った機能の在庫なんだ。悪だ、というわけです。

  平野様のおかげで、PCは悪、ERPは悪、正規化は悪、と大ロット主義に染まった私の思い込みを晴らせました。爽快です。そもそもプロジェクトといった大袈裟な「非常時」で業務をあれこれいじろうとすること自体が大ロットですね。小改善をやれ、と。小さくしてみろと平野様は元気付けてくれますね。プロトタイプとか四の五の言ってねえで、まず運用から先だ、というわけです。

  いい話です。いい話でホントウの事を言っていますから、結構怒るような方々もいらっしゃるかもしれないですね。まったく。