橋本毅彦『標準の哲学』講談社選書メチエ 〔2002.3〕

  著者の方はとても淡々と語られています。控えめで謙虚なる筆致であります。誠実です。静謐です。であるがゆえにとても劇的な感じがするから不思議です。不思議なる魅力の本であります。

  著者の方は、製造ということ、製造物そのもの、あるいは工程ということ、そういう技術についてとても詳しい方です。だからということなのでしょうけれども、技術がひとりで居るのではない、というところをひしひしと実感されている方なのだろうな、と推察申し上げます。

  まずは技術は手段なのですよね。目的から導出されるものです。ですが、著者の方の目線は、この技術というものは、目的だけではなくて、さらに上位(前提?下部構造?)にある人間社会というものに翻弄されるものであるということを見通しておられます。目的から導出されるロジックの世界に閉じた話ではないのだ、ということですね。技術というのは、ひとりであるのではなく、人間社会に翻弄されるものなんだ、ということをとても理解できました。テクノロジーというものを大人が書いている本です。

  中年サラリーマンとして読めば、自分のささやかなる半生を重ねることもできます。レベルはさておき、技術の宿命を感じることは誰でもあるでしょう。例えば、商品寿命が尽きてしまえば、その生産技術もその会社での役割は終わりです。例えば、無くなった産業には炭鉱や人力車がありますが、それらにだって技術の蓄積はあったでありましょう。だけど直接は伝承されない※ですね。技術はひとりで居るのではない。そういうような程度での実感はあるわけです。(自慢にならない)(※間接には伝承される→http://www.enveng.titech.ac.jp/yai/rintaku2006/miniature.html、まあ本筋と関係無い)

  技術を歴史的に、複数の世代、複数の産業史を亙って追跡してくれている本です。修理効率から互換性が要求され、更に部品の標準化へ、更に工程の標準化へと進む歴史の縦の流れ。それと銃からミシンへ、ミシンから自動車へと、産業を横断して技術が展開されてゆく過程。縦と横、それをわかりやすく合成して描いてくれています。技術の標準化がどう進んできたかを教えてくれます。貴重です。多彩なことが書いてあるのですけれども「標準」「標準化」という一本の芯が通っているから、話がぶれない、発散しないです。感動致しました。
 
  (つづく)