北村慶『外資系コンサルの真実』東洋経済〔2006.11〕


会社を良くするということについて、社員が言うことよりも、お金を払って雇った外部の方の言うことの方が価値があるのだろうか?どうして毎日そこに居る人ではダメと思われているのか?そんなことを考えるきっかけを与えてくれました。

 
  最近は、(著者の方に拠れば)、郵政民営化だって、東大の改革だって、みんな外資のコンサルが台本を書いているそうです。それは外資のコンサルの人が優秀であるということも要因だけれども、それだけではなくて、頼む側も丸投げしたい、とか、お墨付きが欲しい、というような理由があるそうです。そうはいっても、コンサルタントが言うことというのはアドバイスであるから、やるのは自分なんだ、なんてことも書いてありますね。実行するのはコンサルタントでなくて自分だぞ、自社なんですよ、というわけです。もっともなことです。

 
  著者の方が書いて下さっていますが、確かに、コンサルタントという職種の方々には優秀な方がいて訓練もされているのでしょう。ただ、その特性というのは「事実にもとづいてロジカルに考える」とか「仮説を立ててそれを検証する」なんていうことであるとのことです。そうであるのならば、それは、ある意味で常識的なことですよね。コンサルタントの専売特許であるはずがない。命題と論理というようなロジックは数学でありますよね。仮説と実験というのは理科でやりますよね。こんな常識的なスキルであれば、医者の手術ができますよ、というような余人を持って換え難いというスキルとはちょっと違います。思考方法なんていうのは、コンピュータで言えば、アプリケーションではなくてOSみたいなものです。それが特性だというのなら、コンサルタントという人は、ただ頭がいいだけの素人、というふうにも考えられるのではないでしょうか。


  というわけで冒頭の問題です。素人よりは、自社の人の方が自社については知っているはずなんです。現状も問題も理解するのはコンサルタントよりも得意なのではないのでしょうか。なのにどうして自社の人では台本が書けないのか?あるいは書かせてもらえないのか?

  別にプロジェクトとか構えなくても、自社を良くするのは社長の仕事であるし、社員の仕事であるわけですよね。どうしてなんだろ。本書の本筋から逸れますが、あれこれ考えています。


(1)非日常空間を設定するためなのか?

  「ハレ」と「ケ」みたいなことなんだろうか?プロジェクトだぞーと非日常的空間を設定しなければ、会社はよくできないということなんでしょうか。会社の改革を盛り上げるには「社長がコンサルを雇ったぞ」という非日常が必要なんですかね。そのへん、著者の方は「機運」(p.21)なんておっしゃっておられます。フツーに日常の中ではできないんでしょうか?この「機運」をつきつめてみたいという誘惑にかられます。普段の積み重ねじゃだめなのか??

 例えば育児なんてのは、繰り返しの日常活動そのものですよね。子供の様子なんてのは親が一番知っているわけですよね。会社の仕事ってのもそうなんじゃないのでしょうか?

(2)サラリーマンは思考方法を知らないのか

 例えば工場であれば、昔からQCストーリーだとかTPM活動だとかFMEA/FTAなんていう思考訓練がありました。でも、ホワイトカラーはやらないんですよね。QCストーリーを軽蔑している罰なんだろうか?だからわざわざ「考えをまとめる」なんていうことに外部の方に頼まなければならなくなったのか?あるいは、またしても文系・理系問題なのか?文系の人に仮説の論証とかできないからということなのか?

(3)サラリーマンはお互いは競争相手であるからか

 だから競争相手である同僚が提案することなどには組せない、ということなんだろうか?その点、コンサルタントは他人だ。別に競争相手ではない、と。だから言うことを聞いても安心だ、ということか。「お前に言われたくねえよ」という突っ込みマインドですね。


 あれこれ考えるきっかけを与えてくれた本書に感謝申し上げます。