榊原清則、香山晋 編著『イノベーションと競争優位』NTT出版[200
榊原清則、香山晋 編著『イノベーションと競争優位』NTT出版[2006] を読みました。
【1】一言紹介
デジタル機器産業では日本企業には画期的な先進技術がある。その技術を以って新製品を出してきた。だが、収益が上がらなくなってきた。それはなぜか?どうすればいいか?という本。
本書は日本の製造業の現代史です。デジタル機器産業の今日までの約四半世紀の歴史書です。力作です。編者の方はこの期間に製造業に起きたことを丁寧にまとめておられます。執筆者にはアカデミズムの方と実業の方の両方おられるようです。この方々の書いた事例・分析の章は圧巻です。
読者私の個人的事情ですが、この四半世紀は自分の製造業サラリーマンとしての期間とほぼ一致します。読者私にとっては、自分の職業人としての期間に、何が起きていたのかを教えられる書でした。大変興味深く読みました。
【2】メッセージ
私は編著者のメッセージを下記のように受け止めました。
(1)デジタル機器は先進技術の分野である。日本が成功してきた分野だ。
(2)90年代中盤以降、ノウハウが詰まった部品や設備が流通するようになった。
(3)そうなると、製品の構造上、組み立てるだけなら誰でも量産できるようになった。
(4)だから先進技術で新しい製品を作ってもすぐにキャッチアップされてしまう。
(5)コモディティ化する。価格が下がる。収益が上がらない。
(6)だからといって更に先進技術の商品開発をしても、更に速く追いつかれる。
そういう技術だけの戦略では息切れする。投資の資金も底をついてしまう。
こういう世の中になってきた。
(7)ではどうすれはいいのか?
(8)技術を商売にできるマネジメント、MOTが必要である。
(9)成功するには、国際的に外部とうまく組めなくてはならない。
(10)あるいは顧客ニーズへの対応において差別化できなければならない。
(11)その前提になるのは、ビジネスプロセス全体、チェーン全体のオペレーションで利益を上げる
という戦略・能力である。
(12)更にその前提となるのは人材だ。
(13)それには教育ではチームワークを教えるのがよい。日本のMOTは工学に偏っている。
【3】組み立て
本書の組み立ては
(1)問題提起
↓
(2)個々の具体的な産業での事例
↓
(3)角度を変えた分析;MOTの観点
↓
(4)まとめ
となっています。なんといっても本書の中心は(2)であります。ここに迫力があります。ここで編者は豊富な事例を用意してくださいました。これは貴重な論考であります。
【4】個々の産業の事例
扱われているのは、時計、PC、光ディスク産業、ハードディスクドライブ(HDD)産業、テレビ産業、半導体産業などなど。
特に光ディスク、HDD、テレビ、半導体の各産業についてはそれぞれ1章が設けられており、執筆者はそれぞれ下記の方々であります。
光ディスク 新宅純二郎、小川紘一、善本哲夫
HDD 天野倫文
テレビ 小笠原敦 松本陽一
半導体 香山晋
いずれの産業においても、
(1)モジュラー化が進み、
(2)擦り合わせ要素が減るにつれ、
(3)日本のシェアが下がっていった
という歴史が理解できます。そしてそれがいずれも90年代の中盤から起きていることがよくわかりました。著者に感謝申し上げます。
【4-1】産業を説明するアプローチ
本書が勉強になる点に、「産業を説明する語り口がすばらしい」という点があります。著者各位が、実に丁寧に、それぞれの産業をわかりやすく説明してくれています。
どの産業事例の章にも、
(1)製品の機能・構造がどういうものか
(2)部品表のおおまかな構成がどうなっており、キー部品は何か
(3)川上・川中・川下の間でのサプライチェーンがどうなっているか
(4)それぞれの企業の業務プロセス、特にエンジニアりングチェーンがどうなっているか
(5)それぞれの製品、プロセスがどう地域に割り振られ、企業間分担をされているか
(6)デジタル化の歴史軸・時間軸の中でどう変遷したか
という説明があります。産業の中の川上、川中、川下のサプライチェーンの概観はなかなか得難い情報です。著者に感謝申し上げます。
【4-2】起こったこと、対策
デジタル機器産業で起きたこと/事実がよく理解できます。
デジタル化の進行
ノウハウがファームウェアや生産設備にカプセル化される。
自社も部品を外販する。
部品が流通するようになるから誰でも買えて、完成品が作れるようになる。
ノウハウも教えてしまうからマネされる。
世界規模の市場でキャッチアップされる。
【4-3】打ち手として行われたこと
これに対する打ち手としては、下記のような対策が紹介されています。
デジカメ事業;商品によって自前部品利用か市場購入部品利用かを選別する
薄型テレビ事業;商品によってアライアンスを組むものと自前でやるものを分ける
光ディスク事業;部品外販と完成品販売との対立は外部資源との連携で解消する
HDD事業;本国ではできないような規模の量産を海外で行う
HDD事業;川上のメディアメーカーであれば納品先のドライブメーカーと緊密化を図る−地域的にも近づく
【4-4】企業現場の文化論
半導体産業の事例を執筆された香山晋氏は2006年当時の東芝セラミックスの社長さんです。経営の当事者による分析というわけです。この章は説得力溢れる魅力的な章です。
ここでは技術と経営のギャップということが取り上げられています。実に示唆に富んでいます。
半導体の技術革新の本質は「ソフトウェアとの結合」(p.215)だと著者は主張されている。このシステム・オン・チップ(SOC)の時代には膨大は開発費と開発期間短縮とが同時に要求される。この「本質的な不確実性」(p.227)をかかえたSOCがいかにも日本の企業らしい意思決定プロセスと合わないというくだりがとてもいいです。
読者私もサラリーマンでありますから、日本の「それって大丈夫だろうな」というようなスタンスの経営は目に浮かびます。これではとてもたちゆかないのだろうということもよく理解できました。植木等のスーダラ節の「わかっちゃいるけどやめられない」ではなく、「わかっていることが実行に移せない」(p.231)というわけですね。もう大企業である総合半導体メーカー(IDM)には「期待はできず」(p.231)というわけで、強い個人をベースとした集団が必要だと香山氏は主張されている。
大きなことは大企業の従来型のマネジメントではできないのだ、と理解しました。
【4-4】本質は?
「コモディティ化を前提として、改めてどこで収益を上げるべきなのか」(p.185)かを考えなければならない時代になったと理解しました。それは規模であるのか、サプライチェーン全体であるのか、サービス化であるのか、それは個々の企業のマターというわけです。
HDDであれば「規模に耐えうる体制を築いた企業が収益力を伸ばす」(p.142)ということだとあります。この文脈の中で納品先との緊密化ということが打ち手となります。生産規模維持のためには、安定的な供給先がどうしても必要なのですね。
生産するのは日本企業なのに、世界中に売る規模を作らないと負けてしまうというのがグローバル経済の宿命なのだと理解しました。
【5】分析の切り口
編者は、本書で、下記のような切り口を使われています。
(1)「モジュラー型、インテグラル型」という製品アーキテクチャの類別方法
(2)これに対する日本と新興国の組織能力の「向き・不向き」
(3)部材−部品−完成品
モジュール→アッセンブル という川上〜川下の類別の方法
(4)部品外販の光と影という観点
(1)と(2)については、日本企業がその組織能力の強みを発揮できるのはインテグラル型であるという見方がある。擦り合わせ型のノウハウが必要だからと説明がある。
であるのに、デジタル機器はライフサイクルのある時期にモジュラー化がおきる。モジュラー化とは「部品間のインターフェースが単純化すること、および部品と部品間インタフェースが産業内で広く標準化されること」(p.27)である。ここに至って日本はキャッチアップがされてしまうことになる。
一方でモジュール自体は擦り合わせ型でできているため、ここでは日本の企業の競争力は高い。この切り口は本書を一貫しています。
(3)と(4)についていえば、デジタル機器の日本企業は、部品事業と完成品事業という両方の事業を持つという構造だという観点が重要です。著者である延岡健太郎氏や新宅純二郎氏は、
(1)部品は工場投資が莫大であることが多いので
(2)「ペイ」するには売らなくてはならなくなる
という力学が説明してくれます。
これはパラドックスであり、なかなか深遠です。興味深いです。
【6】自分に引き寄せた解釈
本書のまとめにもありますが、業務プロセスは大事なのだ、と改めて感じています。
製品開発も重要だが、業務プロセスが重要ですね。(「業務プロセス」は「ビジネスシステム」という表現をされる方もいるようです)要するに開発、生産、営業、物流、商品利用、アフターサービス…といったチェーンの運営能力だと思います。既存の組織の単位ではなく、機能・プロセスの単位で考えなければデザインはできないものです。それぞれのプロセスをどこでやるのか、誰がやるのかという割り振りが重要です。
日本企業は擦り合わせ能力は高いわけですから、業務プロセスも隣接する機能の間で擦り合わせながら作りこむようなことが可能ではないかと思います。ですが、全体のチェーンとなると、なぜ難しいのか?ボトムアップでは進めにくいからだろうか。
【7】それにしても疑問
「販売費および一般管理費などのオーバーヘッドが大きな負荷となる日本企業」(p.21)とありますが、それではそのオーバーヘッドは何をしているのだろうか?これらのオーバヘッドは本書でいわれるオペレーションの仕組み作りには使われていないのか?ここが問題ではないか??このオーバヘッドは製品開発にのみ使われているのだろうか?
確かに、製造業の中では個々の技術は敬意を表される。いっぽうでプロセスを編み上げる仕事はなかなか動機維持が難しい。読者私も製造業のサラリーマンでありますから特に感じます。
【8】蛇足;記憶
読者私もかつて工場に勤務していました。製品は消耗材で、複数のケミカルプラントを経て生産されていました。本書を読むと、あれはまさに「複数工程間の調整、使用する部材による設備稼働条件などの擦り合わせ」(p.95)のたまものであったのだ、ということに思いがいたります。競争力とはあれだったのだと理解できました。
【9】余談
サラリーマンをやっていますと、よく社内の教育で「技術があっても、人とうまく組めなければダメ」などというのがあります。
個人もそうであれば、企業もまた然りなのかもしれません。デジタル機器産業の場合は「技術があっても、国際的に他社と協業できなければダメ」といったことが書いてあります。
個人の場合は、確かに、「技術があってもお金が無い人」、「芝居がうまくても売れていない役者」などはそこらじゅうにいます。このあたりを類推しながら読むこともできる書です。そういう人々は「協業がうまくないのか」と。
もっともそれは「コモディティ化」とは関係無い。「コモディティ化」の類推としては、「種明かしをしすぎて売れなくなった手品師」とか「生徒を増やしすぎて、エリートイメージがなくなってしまった予備校」といったことを想像致します。
以上