坂村健 『ユビキタス・コンピュータ革命』角川oneテーマ21〔2002.6〕

  情報技術というのは手段でありますから、目的なり問題があって、それに対して解を出すというのが使命ですよね。それこそが存在の意義であり、倫理というもの。そうであるのにもかかわらず、目的も特定しないうちから、最初から固定的な手段が鎮座ましましていて、「それありき」で「何でもできます」なんていって偉そうにしているのってのは、おかしいし醜い。そういった素朴な倫理観、美意識というものをよびさましてくれる名著です。これは美意識の本であると思います。


  サラリーマンの端くれとして、あるいは、情報技術に僅かにかすっている職種でもありますので、著者の御主張には感銘申し上げます。仕事のスタイルを変えるのに大きく役に立ちました。重ね重ねありがたい本です。


  著者坂村氏は発想の人であり、美意識にこだわる人です。コンピュータのあるべき姿というのを発想されておられます。


   コンピュータのあるべき姿として、コンピュータは露出するんじゃねえよ、と主張されています。手段が前に出てくるなってんだ、という気風です。これは嬉しいです。コンピュータが偉そうにしているなんざあ野暮なんでげすよ。なぜか、谷崎潤一郎氏の「文章読本」を思い出しました。日本語で文章を書くときは主語なんか書くんじゃねえよ、野暮くさいなあ、といわんばかりのくだりがあります。共通するのが美意識であります。要は「前に出るな」「おくゆかしくしていろ」というところ。静かにしてろってんだというわけです。著者坂村氏はマーク・ワイザーという人の言う「静穏なテクノロジー」(p.66)という言葉を引用して、解説をしてくれています。


  更に、パソコンは汎用的なのが駄目だと主張されておられます。電卓なら電卓がいいわけで、電灯のスイッチなら電灯のスイッチがいいわけです。目的に対して、最適解を提供してくれるのが技術なんだから。汎用性でございます、ってんで、何でもできますよ、というパソコンってのは厭なもんです。変に汎用的なもんだから「非常に使いづらかったり操作が分かりにくい」(p.39)というわけです。手段のくせに、手段をありきで思考するのが気に入らない、ですよね。汎用的というのはそういうことになりますよね。賛成です。そこに既にあるパソコンという変に汎用的な手段てえやつに対して、何でもカンでもやらせなければらないように発想するからいけない。そういう手段だけに長じたような妙な技術者も幅をきかせるわけなんですよね。


  目的があって、技術に機能が要求されて、で、手段のいいやつができるというのがまっとうなんですよね。機能に特化しろというわけです。汎用的なんていって「何でもできます」なんて妙なやつに、そいつにしか通じないような言葉で、頭をさげて頼むなんてのは厭な話ですよね。私たちも、多分、日ごろ、そういうことって感じているんですよね。感じているんだけれども、パソコンってあまりにもあたりまえになっているから、なんか言いづらいし、そういうふうに思うこと自体がまるでリテラシーが低いみたいに思われるのが恥ずかしいというような空気があるんですよ。でも著者のような一流の方が、ちゃんと種明かしをしてくれると心強いかぎりです。


  で、じゃあどうなればいいかっていうと、著者坂村氏は「バック・トゥー・リアルワールド」(p.43)というわけです。現実に戻んなさいな、ってことですよね。いろいろと書いてあるユビキタス技術の成果もすばらしいですが、このあたりの発想・警句が魅力的です。影響されました。早速、仕事のスタイルを変えなければならないと考えました。


  読者私が勝手に連想いたしましたのは、コンピュータの周辺に居る人々のことです。企業の中で情報技術に携わっている職種の人たちです。変な感じの仕事のスタイルになっていることに思いが及びます。変に汎用的なコンピュータというものに影響されています。妙な用語ばかり使ってね。現実世界を勉強しないで、嘘の世界に入り浸っているようなことが多いんですよね。一箇所に集中して閉じこもっているわけですから、それこそ遍在はできないわけです。ユビキタスになれないわけです。ユビキタスになるためには、ユビキタスコンピュータがあらゆるモノに組み込まれるように、業務プロセスの中に、ビジネスの中に、あちこちに組み込まれなければならないわけですね。ちりぢりばらばらに遍在せにゃあいかんわけです。私たちはエンジニアです、なんていって隅っこに固まっているんですよね。珍妙です。

  著者坂村氏の「コンピュータが人間の要求に答えるためには、現実の生活空間がどうなっているのかを知らなければならない」(p.64)という御発言がまた冴えてます。企業の中でビジネスやら業務に情報技術を活用しようと思ったら、商売やら仕事の現場を知らなければならないのは理の当然であります。このあたりまえのことに、いまさらながら強く気づきました。本書は情報技術になんらかの関わりを持つ職業人に対するメッセージになりますね。「コンピュータを徹底的に裏に隠し、その存在を感じさせないこと」(p.74)であります。


  そこでまた、奥ゆかしさ、という美意識にも通ずるわけです。能ある鷹はつめを隠すってわけですね。秘すれば花という方が近いかもしれないです。で、前に出ろ、と。現実には出てゆき、溶け込め。普通にあちこちに遍在せよ。コンピュータ技術なんか見せるなと。


  さて、本書にはセキュリティやオープンソースについてもメッセージがこめられています。ユビキタスというのはコンピュータが遍在するわけですから、セキュリティが大事になってくるわけです。そしてセキュリティを守るには秘密主義では駄目でオープンな構成でなければならないわけですね。大勢で検証できるから。そしてユビキタス・コンピューティングの便益を享受するには、社会的な基盤が必要だ、標準化も必要だ、という御主張です。もっともであります。こちらは国家レベルの話になるわけで、こっちのほうはなかなか発想の豊かな方が活躍できない事情もあるようです。坂村様の言われるように、インフラは市場にゆだねてもだめで、社会として取り組まなければならない課題だと思います。


  本書にある様々な主張には、多様性の尊重、自由の尊重、そして科学技術への信念という軸が通っています。冒頭で述べられている「八百万の神が、そこにもいて、あそこにもいて、裏のネットワークで話し合っている」(p.13)という情景が実にいいですね。


  大変影響を受けました。著者の方には重ね重ね感謝申し上げます。