里見弓亨(とん)『文章の話』岩波文庫[1993.1]底本は新潮社[1937.4]

【1】感謝と恐縮

 最初は自分の好きな「方法本」の一種ではないか、と思い手にとりましたが、そんなものではありませんでした。実は不勉強で、わが国にこんな方がいらしたことを知りませんでした。このような方とめぐりあえて嬉しかったです。こんなことがあるから本を読むというのはありがたいものであります。 

  本書は文化遺産ともいうべきもので、しかも最高峰ではないか、と感じております。難しいとか高邁だという意味での最高峰ではありません。平易で明快で誰にも読めるという最高峰です。わかりやすい。こんなわかりやすい語り口は他にありません。
 
  本書のメッセージというのは、一言で言えば、「立派な文章が書きたい?それじゃ立派な人におなんなさいよ」というものです。人の道が説かれています。カタイ話ではないし、偉そうは感じもしません。そもそもこの本は「少国民文庫」の中の一巻として刊行されたものだそうであります。子供にもわかりやすく書かれておられます。比喩が多くて、それがまた粋で洒落ています。おしゃれな本でもあります。

  先祖代々が築いてきた普通の常識というものが書き留められています。しかも、穏やかで自然な語り口です。常識を伝えることは次世代への責務であることを自覚いたしました。文化の根本は「常識」にありますからね。著者里見氏に感謝致します。

  1937年、昭和12年は、こんなにすがすがしい本が出ていた時代なのですね。こんな本が出ていたわが国のこの時代そのものにも感謝したくなります。

  著者里見氏の著書はなかなか入手困難です。嘆かわしいことであります。この方の目線から現代を見るとどう見えるのだろうかと思うと、ちょっと恥ずかしくて、嘆かわしくて恐縮してしまいます。
  
 本論、中にたくさん含まれている金言、そして文章の運び方のすばらしさ、3つにわけて感謝いたします。


【2】本論

【2-1】言葉が思想、文章が思想

 文章の書き方、という問題の立て方からしておかしいと教えてくれます。言葉が思想なのだ。文章てえものは思想なんですよと。「文章の使命が思想を伝えることだ、というのは誤り」とあります。その「使命」だの「役割」だの言うからおかしいのだ、と御主張されておられます(p.151)。そういうの入れんなよ、というわけです。これは腑に落ちました。ここは力説されています。言葉で思想を伝えるという料簡が駄目、というわけですね。だって言葉は思想なんだから、と。
 
 言葉てえのは人間がこしらえたものですよ、とおっしゃっておられます。その人間がこしらえたものに使われちゃあいけませんよ、と主張されています。まっとうな常識です。重要です。

 著者里見氏の本書から70年後の現代は、人間が言葉に使われるような場面が覆っているのではないでしょうか。著者里見氏が危惧されていたとおりになってしまったのではないでしょうか。
 
【2-2】感謝から始まる

 まず今あることを感謝しなさい、とあります。誕生点という図を描かれて説明しておられます。(p.88)両親あって自分があるのであると。このことにまず感謝せよ、というわけです。ここも納得です。


【2-3】「自」と「他」という基本概念

 「あなたはあなたで、あなた以外にあなたはいません」(p.103)そういう唯一のものが「自」であると説かれています。そして「絶えず積もり重なってくるもの」(p.110)として「経験」があると言われています。これを「他」と表わされています。これらは「きっぱり二つにわけてみせるわけにはいかないけれど、しかし、その二つのものは、あることはたしかにある」(p.125)という考え方を示されます。「一にして二ならず、二にして一ならず」(p.125)名言であります。

  この「自」と「他」てえものを分けんじゃありませんよ、というのが本書のコア中のコアです。サラリーマンをしておりますと、「分析」などというと要因を分解します。そうしておいて個別に策を考える思考法が身についてしまうのですね。そうした思考法に陥っていることが自覚できました。「層別」「レイヤー」「tier」「要因の解析」「モデリング」…。分けっぱなしは駄目だと腑に落ちました。考えているときに分けているのであって、実生活では、また一つに扱わないということはよくあります。「一にして、二ならず」はその通りです。 


【2-4】「たいことをたいせよ」
  
  「たいことをたいせよ」(p.127)とあります。「書きたいこと」を「書け」と。この「書きたいこと」「内容」というのが「自」で、それは自分そのものである、と言われております。今風に言えば「メッセージ」でしょうか。
 
  ただそれを表現するには「伝統」である「文字」という表現をを使うのであると。そしてこれは「自」に対して「他」であると説かれておられます。

  いろいろと経験して「感覚、知覚、印象、経験−およそ、あらゆる「他」」(p.220)が「自」という面に投射されて、それで反射されるのだ、とされています。机に向かってからの苦心なんかじゃあ、文章はできないのだ、と喝破されておられます。本書が「方法本」ではない所以です。さあ、書こうとしてからじゃ遅いというわけです。


【3】金言・箴言に感謝

  自分に嘘をついてはいけませんよ。(p.72)というくだりはすばらしいです。現代のマスコミ、ジャーナリズムで怪しげな言説があります。いろいろと発言されている各位について、私は動機がわからないことが多かったのです。端的に言って「バカ」なのか「悪人」なのかが判らなかったのです。しかし著者里見様のこのくだりで疑問が解けました。ああ、あれはあの人たちは自分に嘘をついちゃったんだ、と。妙なのに引っかかるのもこれなんでしょうね。

全編が金言の宝庫です。やたらと漢語や英語を使ってみえをはるな(p.56)とか「よくわかっているならすらすらいえるはずだ」(p.57)とか、ごまかし、負惜しみはやめよう(p.58)とか、試行錯誤をせよ、へこたれるな、やってもいないうちからえらそうにするな、やれるようになってはじめて「知る」のだ(p.48)、など子供にも聞かせたいような金言がたくさん出てきます。そうした金言の基本には嘘をつくな、という原則のがありますね。



【4】名人の技
 
 本書はもともとは少国民文庫の一巻を形成して刊行されたとのことです。ところどころで既に刊行されている他の巻に言及されています。これは現代で言えば、サラリーマンのプレゼンテーション技を想起します。前の人の内容に敬意をこめてふれながら本題に入るというアドリブに似ています。これは、余裕、実力、腕がなければ到底できることではありません。

 本書のタイトルそのものがいいです。「文章の話」。衒わない、力まない、見栄をはらない、嘘の無い、敷居の低いタイトルです。こんなタイトルはとてもつけられません。

 比喩も図解も実に豊富でありまして、青少年にもわかりやすくなっています。「入射角と反射角」なんていう物理の比喩もでてきて楽しいです。


【5】それにしても

 このような素晴らしい方のお名前の漢字がどうして検索エンジンで化けてしまうのか。すんなり変換できないのか、なんて失礼であることか。憤りを感じました。「里見とん」では若手TVタレントのようではないですか。