鐸木能光『テキストファイルとは何か?』地人書館〔2001.3〕 
著者鐸木氏は「文字による文化の問題」を正面から明快に語っておられます。感謝申し上げます。この分野をこれほど明快に理解できたことはありませんでした。


 私は著者鐸木氏の主張の淵源を下記の2点の観点であると理解しました。 
 (観点1)自由度が大きいほど優れた技術だ。
 (観点2)文化・伝統を伝えることに貢献できるほど優れた技術だ。

私は、この2点のしっかりした根を著者鐸木氏に感じました。下記のような様々な課題に対して、まっとうに論じてくれています。これが実に明快であるのです。


【1】課題1;手書きかデジタルか

  文句なくデジタルと主張されています。(観点1)が作用していると判断致します。推敲の自由度もメディア選択の自由度も手書き原稿よりもデジタル原稿の勝ちとの主張であります。これは賛成致します。

【2】課題2;テキストファイルかワープロソフトか

  これも明快にテキストファイル、と主張されています。著者鐸木氏はバイナリファイルはわざわざ互換性を失わせる邪なものであると捉えられています。私はこれは(観点1)の作用と捉えました。賛成致します。手段の分際でソフトウェアが偉そうにするのは粋じゃないです。わざわざ暗号化して、解読を自社ソフトに金を払わせようという実に邪な発想です。陰険であります。

どうもソフトウェアに携わる方々には、「こいつ、一神的な邪心が宿っているなあ」と感じることが間々あります。なぜかは判りません。

【3】課題3;OSとブラウザを一体化させるな

  OSとブラウザを一体化させた巨大企業がありますが、これを悪と主張されています。(観点1)の作用と捉えました。賛成致します。素朴な利用者を自分の庭に囲い込もうという邪心であります。読者私も、この一色に塗り固めよう不自由を強いるのは悪であると捉えております。これも一神教的な邪心に由来すると思います。


【4】課題4;漢字制限を進めた1946年の官僚−漢字文化を守った国民
 
  これは著者鐸木氏は、国民の勝利と主張されておられます。(観点1)も(観点2)も、作用していると捉えました。本件は読者私も実に美談であると感じております。この1946年の当用漢字に屈しなかった我が父母の世代にも感謝したくなりました。涙が出てきます。E電騒動を想起致しました。

【5】課題5;JIS漢字83年改訂
 
  著者鐸木氏が本書でもっとも強く論撃されているのがこの83JISです。企業内に居る自分なりの比喩で申し上げれば、業務も知らずに勝手にマスタを変更したバカなメンテナンスと言えます。(観点1)からも(観点2)からもこれは巨悪であります。このあたりは自由を求める国民と漢字制限などと驕り高ぶった官僚との文化戦争の様相を感じました。憤激を著者鐸木氏と共有致しました。著者に感謝申し上げます。


【6】課題6;JIS2000あるいはそれでも足りない日本の漢字の文字集合

  「つちよし」や「はしごだんの高」については著者鐸木氏も若干迷っておられるようであります。なぜか、これらを文字コードを入れることについては、著者鐸木氏は「一蹴する気にはなれない」とやや弱気な支持であります。ちょっと意外でありました。

  ここは著者を激励申し上げたくなりました。読者私は(観点1)からも(観点2)からも、ここはJISの文字集合がまだまだ少ないのではないかと考えます。御気を強く持たれるようお願い申し上げます。

  (※読者私の感想をもっと正確に申し上げると「少ない」というよりは「上限を有限に設定するのは文化になじまない」と思っています。そこにあったように、自然にあらしめておく、というのが文化であるように思っています。上限を定めるという発想がなんか粋じゃないと思っております。文字集合の総和というのは波打ち際のように動いているものなんだろうと思います。上限の線は見えない、でもこれは文字だというのは確かにそうだ、というようなもんじゃないでしょうか。定義はできない、でも確かにそこにある、というようなもんでしょう。そもそも定義というのが粋じゃないでげすよ。)


【7】課題7;UNICODEは歓迎か

 UNICODEとは、世界中の文字を共通のコードで表わせるようにしよう、という試みであるそうです。これを歓迎するのかどうか、これは読者私は態度を保留しておきたいと思いました。保留といいながら、かなりネガティブに捉えています。まったく文化の異なる国民の文字を、形状や出自の観点から同一視することには賛成しかねます。(観点2)からです。フォントが違うからいいじゃん、というのはなんか妥協的ですよね。

  著者鐸木氏はこの課題に関しては、やや楽観的な態度を取られております。ここも(観点2)から激励したくなりました。現在の情勢では、ここまでが限界であるから、しようがなく「受忍」といったところなんでしょう。技術を担う各位にがんばってもらいたいところです。そして(観点2)はぶれてはいけないと思います。


 以上です。


 これらの課題はすべて手段と手段の比較という技術論ではなく、目的からみて手段がどうか、という問題であります。だから深遠なものであります。この深遠な問題を論じる上で、著者鐸木氏は随所で厳密な定義をした用語を使われています。このようなロジカルな姿勢は本書を美しい本にしていると思います。重ね重ね感謝申し上げます。