中西秀彦『活字のない印刷屋−デジタルとITと−』印刷学会出版部〔20

 中西秀彦『活字のない印刷屋−デジタルとITと−』印刷学会出版部〔2006.9〕

 職業哲学、実践的「家業」論とでも言うべき素晴らしい本であると思います。家業として、印刷業を引き受けられた方にしか書けない貴重なご意見を、このようなかたちで伝えて下さったことに感謝申し上げます。


【1】プロの話

 仕事に賭けている人の話は面白い。でも仕事に賭けている人は忙しいからなかなか話が聴けない。まれに仕事に打ち込みながらも、話上手という奇特な方が居られる。こういう型のお話からは得るものが多いので大変感謝申し上げています。更に奇特な方で、文章に書いてくださる方が居られる。いっそう感謝せざるをえません。ありがとうございます。

 著者中西様は中西印刷という印刷会社の二代目の方で「若旦那」さんということで経営者でいらっしゃいます。とてもお忙しい方であろうと容易に想像がつきますが、このような素晴らしい本を読ませて下さいまして大変感謝いたしております。

【2】ITが変えたもの、変えないもの

 ITのことが書いてあります。ITが印刷屋さんに与えている変化のことと、そして著者中西様の世代が、このITに対して、どのような位置にあるのかが書いてあります。そして何が変わったのか、何が変らっていないのか、何がなかなか変らないもので、何が変わってはいけないものなのか、そういうことへの思いを書かれておられます。軽快に書かれておられるのですが、とても深い感動を致します。プロの職業人としても、コラムの達人としても尊敬申し上げます。

 ITすなわち情報技術の利用拡大が印刷業を激しく変えているということは多くの方が述べられておられます。ITだ、革命だ、というような話題というのは、怪しい話が多いと思っています。売る側の話であったり、現実の当事者ではない立場からのお話だと感じることが多いと感じています。その点、本書はきわめて具体的に、現場で何がどうなっているのかがよく理解できます。変化の様子が現場目線でわかりやすく書かれています。商品が変わるし、工程が変わる。中も外も変わるという大変化であります。しかし、現場では、変化は一様ではない、という事実がよくわかります。まったく無くなってしまうものもあれば、一朝一夕には変らないものもあるということがとてもよくわかるように書かれておらると思いました。

【3】変わらない本質

 印刷業にとって、何が変ってはいけない本質であるのか。中西様は「組版原則」であると言われています。活版の職人の方々が、何年もの修業のうちに「指先から体の中に組版原則が染みこんでいった」(p.109)ものであり、「『読みやすさ』という観点から練りに練り上げられている」(p.109)と書かれています。この職人技こそが産業の原点なのであると書かれておられます。マックがウィンドウズに変っても、フィルムが無くなっても、活字がDTPになろうとも、ここは変らない本質であると書かれておられます。

 媒体や道具ではないのですね。読みやすさのために技を磨くこと、磨かれた技は変らないのだと理解しました。この業を営む限りは、ここにうけつぐべき本質があるのだ、と明言されておられる点に敬服致しました。

 ITによる商品の媒体や工程の道具が変わることに当事者として携わって、日々格闘されておられるところから、では変わってはいけないものは何か、とつきつめられたのではないかと拝察申し上げます。
 

【4】うけつぐもの

 著者中西様の世代が私とほぼ同じなので、世代的なお立場がよく理解できました。御自身は「露払いの世代」と言われておられます。なかなか良い命名だと思います。若き日には活版世代のお父様に対して、新技術導入推進の側に立たれていたようです。御尊父様を亡くされて十数年経過してみると、周囲には若若旦那(これも著者の御命名)というもっと下の世代が登場している。彼らは情報技術をあたりまえのように駆使している。今度は自分が古い世代になっている、と感じておられることを各所に書かれています。
 
 御尊父様が残された活版の機械を見て、工場の中に博物館コーナーを設けられたり、印刷職人の王道に敬意を表明されたりして、受け継ぐべきこと、伝えるべきことに思いを述べられているくだりは感動的であります。

 更に御子息と家庭内LANの配線をされておられる模様も書かれておられます。ここでも当事者として次の世代に伝えることを意識されてておられることがよく理解できます。


 読者私はサラリーマンでありますので、こういった著書を拝読いたしますと、『家業』というものに敬意を感じてしまいます。