トーマス・フリードマン『フラット化する世界(上)』日本経済新聞出


Thomas L.Friedman著(伏見威蕃 訳) 『フラット化する世界(上)』日本経済新聞社〔2006.5〕を読みました。

 大ベストセラーになっただけのことがあります。

 メッセージが明確であります。題名通り、世界はフラット化しているのだ、というメッセージであります。地理的にも組織階層的にも平たくなっているではないかというわけですね。分業が国際的にすすみ、個人がグローバル化するのだ。というわけであります。


 そして、 
(1)それが、どういう現象に顕れているのか、
    インドのコールセンターを見よ、というわけです。
(2)なぜそうなったのか、
    10の要因があるということです。光ファイバーとインターネットだ等だ、    とのこと。
(3)どう考えればいいのか
    昔からあった最適地生産の延長線上にあることなのであり
    この方が大多数の幸せにつながるのだとのこと。
という組み立てで解明してくれます。

 そして
(4)どう行動すればいいのか、というわけであります。

 激励とともに送り出させるような気分にされます。まるでQCストーリーのように明解な組み立てであります。とても肯定的でもあります。そしてマルクスからリカルドに及ぶような該博なる教養。ウィットのセンスもすばらしく、軽妙なる一言で笑わせて下さいます。
さらに翻訳がすばらしい。名訳であると思います。

 著者に感謝申し上げます。 

 国を越えたアウトソーシング。たしかにもうどうにも戻せない流れなんでしょうね。コストが安いところに仕事が流れる。それは先進国(本書ではアメリカ)の人にとっては良いことであるのだというメッセージであります。一人のアメリカ人の消費者という側面にとっては値段が下がるから良いことなのだ。そして被雇用者という側面にとってはどうなるか。それはどんな労働者であるかにかかっているいうわけですね。だだし、労働というのは一定の塊ではない(p.368)のであり、新しい仕事がどんどん生まれるのであるとのことだ。

 読者私にとっては、本書は「分ける」という点がポイントのような気が致します。仕事という一つのつながりを「重要なこと」と「後方支援作業」とに分ける。一人の人間という一つを消費者面と労働者面とに分ける。それは可能なのだろうか?コールセンターはオフショアでいいではないか、組み立てはコストの安い地域が良いではないか、ビジネスなんだから、とそういうふうに分けられることなのかどうか。読者私としては、ここに一縷の逡巡があります。
 
 著者は、情報通信技術によって、国家や企業だけではなく、個人もグローバル化の恩恵の預かれるチャンスが生まれているのだと激励してくださっておられます。
 
 考え方によっては、ビジネスなんかナシで、慎み深く、節約をしながら、地域に即した産物を育てて、家族・親族と土地の人たちと暮らし、生きてゆくというモデルには戻れないというわけですよね。
 
 読者私と致しましては… もう戻れないのだから、これはもう肯定して、明日に向かって生きるしかないではないか、という受け止め方を致しました。

 今起きていることを解明してくれた著者には感謝致します。覚悟を決めろ、というメッセージにも受け取れました。