石川和幸『図解 SCMのすべてがわかる本』日本実業出版社〔2008.6〕

  石川和幸『図解 SCMのすべてがわかる本』日本実業出版社〔2008.6〕を読みました。

 
【1】一言紹介

 製造業が近年多く取り組んでいるSCMという領域の解説であります。タイトルは「すべてがわかる本」となっております。著者はわが国の製造業のSCMを多数経験されている屈指のコンサルタントであります。

 「すべてが」という題名通り、オーバーオールにバランスよくこの分野を、解説してくれています。また「わかる本」であることを徹底的に追求されており、個々の各論に埋もれることは自制・抑制されており、これ以上無いというほど明解で平易に推敲されています。抽象的な言葉、乱用されがちなIT用語は排除されています。

 技術や手段や理論の観点ではなく、マネジメント、目的、実践の観点から解説してくれているのが特徴だと思います。

【2】メッセージ

 SCMはマネジメントつまり経営の意思決定の領域の問題だ。オペレーションつまり作業の一つではない。特に需給計画業務は「会社の収益構造そのものを左右する」(p.76)重要な業務機能であり、「マネジメントが参加する必要がある」(p.77)マネジメントが参加できるように問題を「編み上げる」ことが必要である。

 まずは自社のビジネスのあり方がどうなっていて、ビジネスモデルをどう選ぶかという方針の問題がある。その方針を達成するために、どういう構えが必要かという問題ができる。自社の製品や顧客を分類し、層別して、それぞれに対して構える必要がある。SCMを支えるのは物流が土台となった計画と実行と評価のしくみである。しくみを作るには自社の特性をよく知り、自社の制約条件をよく理解している必要がある。構え、しくみをまわすために業務がある。組織の権限、役割の観点から業務を設計し、合意を形成し、実現しなければならない。


【3】組立

 章立てとしては、目的から解き起こされて、SCMの要素を分解され、その要素を御経験された事例・逸話をふんだんに引用しながら説明をされています。
 
 メインの流れとしては冒頭の目的の解説から個々の要素解説に到るまで、とても実践的で具体的な言葉で説明されています。

 読者がどうすれば理解しやすいかを徹底的に意識された組立となっています。読者私が感謝申しあげるのは下記のような配慮であります。
 (1)概念は後でふれる、
 (2)今日的話題は繰り返し織り込ませる
 (3)理論・論理・ソフトの乱用への警戒を繰り返し喚起する



 (1)概念は後でふれる

 専門家の方であればついつい深入りされがちな話題もいくつか出てきます。しかし、これらをあっさりと「実は難しい」と触れる程度で自制されています。例えば下記のような4箇所は未熟な方であれば章を起こして力みかえって語ってしまいたくなるような誘惑に満ちた話題でしょう。しかし「すべてがわかる本」の趣旨から言って見事に惜しげもなく割愛されています。人徳を感じます。
  「納期回答は実需に対して、対応できるかどうかの『返し』の情報です」(p.19)
  「正確に納期回答を行うことはなかなか難しいのです」(p.72)
「もっとも大切なのは利用可能在庫の定義です」(p.101)
「単純に書きましたが、受注時の出荷配分の問題は意外に根が深く難しいものです」(p.125)

 そして第10章になってやっと「キーとなるフレームワーク」(p.182)として「紐」(p.182)という言葉で概念的な装置を提示してくれます。いかようにも晦渋難解になってしまう分野なのですが、これまた平易・簡潔に説明されています。類書がこっそり避けているような難所を、平易に、力まずに、深入りせずに、わかりやすく解説されている章であり、これは本書の白眉ではないかと感動申しあげました。

 (2)今日的話題は繰り返し織り込ませる

 また注意すべき今日的な点は繰り返し螺旋のようにリフレインのように登場して、読者の脳裡に残るように組み立てられています。
 一つは製品のライフサイクルとSCMモデルの話題です。在庫ポイントの話題のところでも、プッシュかプルかという考察をされている個所にも、需給バランスの説明のところでも、コラムにも登場します。
 二つ目に気づいたのはサービスパーツのSCMの話題です。これも繰り返し触れられています。競争優位領域として重要であること、24時間365日対応が必要であることなど、随所に登場して注意を喚起されています。

(3)理論・論理・ソフトの乱用への警戒を繰り返し喚起する

 プル型であれ、需要予測理論であれ、スケジューラであれ、ERPであれ、それらは手段であり、本筋のSCMとは関係無いものであることがよく説明されています。これは裏を返せば業務現場への敬意ということであり、このへんに著者の倫理感を感じますし、共感致します。

 「論理で現実を判断する逆立ちしたやり方です」(p.36)というのは至言であり、このあたりが著者の思想の根幹にあると拝察しました。


【4】文体

 SCMがどうのこうのではなく、日本語の書籍としてこれほど完成された本はめったにないと思います。なぜかくも自然で明解で平易な文章が書けるのか不思議でなりません。読み手の理解する速度、思考回路を熟知しきって推敲されているとしたら、おそるべき書き手であります。
 
 実践家であれば自分の関与した「成功事例」をもっと声高に喧伝するものですが、そんなそぶりはまったくありません。
 エンジニアでれば自分の得意領域や興味領域に引寄せて固執する論考になるものですがそんなところは微塵も無い。
 アカデミックな論文であれば、過去の類似研究に対していかに自分の視点が優れているかをあからさまに主張するでしょうが、そんなあられもないところはまったくありません。
 ITジャーナリズムであれば大げさな煽り、断定、妙な用語の乱発がありがちですが、そんな野暮はまったくありません。 

 きわめて静謐に淡々と語る語り口は自然体であります。ページ構成を想定して、見開きで読みきり形式となっていて、どのページを複写してもそのまま「使える」資料になります。図の位置も計算されており、わかりやすいです。

なによりも日本語を大切にされています。「紐」、「キモ」、「編み上げ」、「構え」…など。抽象的な言葉や概念的な言葉を極力避けておられることと拝察致します。バズワード(buzzword)に対する憂慮をもたれることと拝察申しあげます。

 そして根底にあるのは、日本人の仕事の仕方に対する深い敬意だと思います。PSIは日本が発祥の地であると書かれています。日本の計画担当者が「責任を感じて、“なぜこの数字なのか、大丈夫なのか”を突き詰め」(p.178)るときに「役に立ってきたのがPSIの情報なのです」(p.178)というわけです。「数字に責任を持つ人間が、議論の末、共通理解をもって意思決定していく経営土壌」(p.163)をとても肯定的に描かれておられます。

 このような観点からも高額なソフトは不要であり、結果はシンプルになるであろうという確信を述べられています。

【5】著者への感謝

 本書そのものが、結果としてきわめて平易で理解しやすい名著となっているのも、このような著者の確信を自作に適用されたものと思います。自己実践というわけです。このあたりにも著者の職業倫理を感じる次第であります。