佐藤剛『イノベーション創発論』慶應義塾大学出版会〔2008.9〕を読み

佐藤剛イノベーション創発論』慶應義塾大学出版会〔2008.9〕を読みました。


【1】一言紹介

 セイコーエプソンが機器のデザインという職務をどのように設計したか、機器デザインセンターという組織をどのように設計したか、ということがよくわかります。ここまで克明に内情を公開することを了解したセイコーエプソンという会社の度量には感服します。はしがきに御芳名のあるセイコーエプソン機器デザインセンターの前野久登氏、田淵史氏という方々に感謝申し上げます。

 読者私はサラリーマンであります。私は企業の中の業務プロセスのあり方というのは最高の機密だと思うのです。ところが、これは知ったからといってもなかなか真似はできないということも体感しております。セイコーエプソンの方もそのあたりを見抜いて公開を了解されたのではないかと思います。

 個別な企業の個別の職場のことなのですが、徹底的に具体的に描かれているので、とても一般的な知見であると思います。

 技術者が働くとはどういうことなのか、あるいは、会社が職能を持つものを、企業の中で働いてもらうということはどういうことなのか。よく理解できます。名著であると思います。

【2】メッセージ

 読者私は著者佐藤氏のメッセージを以下のように理解しました。

 (1)イノベーションは設計できない
 (2)おきやすくすることはできる
 (3)イノベーションはプロセスなのだから
 (4)そのプロセスを設計すればよい
 (5)それは経営の仕事である
 (6)実際にセイコーエプソンの機器デザインセンターではこうやったのだ      

【3】組み立て

 前段ではセイコーエプソンという会社がイノベーションのプロセスをどのように設計したかを明らかにされます。後段では、そのプロセスが動いて、実際に斬新な商品が開発された経緯が述べられています。

 読む側は、こういうプロセスがあったから、ああいう製品が生まれたのだな、と理解できるようになっています。

 前段のプロセスの設計のくだりは、組織の設計→評価制度の設計→やる気の設計のような組み立てになっています。イノベーションだから個人的なアイディアに依存しようというのでは会社じゃないというわけで、組織、評価といった仕組みを仕掛けてゆくところがさすがです。これが企業力ということがよくわかります。

 著者自身もこのセイコーエプソンのやる気の設計の部分−「組織開発プロジェクト」という名前が付いています−には関与されていたようです。

 後段は、実際の斬新な商品であったエプソンのEMP-TWD1という製品の開発物語であります。

 この中で、仕組まれた業務プロセスが生きていることが描かれています。

【3】プロセスが設計されている

 読者私は本書を読んで、イノベーションを起こすプロセス、仕掛けは以下の3つが重要と理解しました。

 まずは職種・職能を持つ人間を職能部門に閉じ込めず、事業の中におき、事業部の人間と親しくさせること。次に、第一歩を踏み出し易くすること。そして、誰かのアイディアに他の人間が共感できるような機会をうまく仕組むこと。

 本書セイコーエプソンの機器デザインセンターのEMP-TWD1の開発の事例では、この3つがとてもよく描かれています。 


【3-1】親しくなる仕掛け

 何よりもデザインセンターの人間が製品開発の担当者と「日常的に会話ができる関係が必要」(p.186)とあります。読者私もサラリーマンでありますから、ここは賛同申し上げます。会議室では駄目なんですよね。「意識して話す場合、すでに、どうすべきか判断できる内容を話すことが多く、そこから創造的に発展することは少ない」(p.186)ということもよく体感致しております。

 いずれにしろ「積極的にデザインセンターの枠を飛び出て、開発担当者など事業部の人々と親しくなることが、デザインの質を高める契機になる」「CADの前でなんとかアイディアをひねり出そうとしても、簡単に生まれるものではない」「社内には豊富な資源があり、それらが価値を見出されるのを待っているのである」(p.186)なんと本質的なことでありましょうか。

 このようにデザイナーと事業部の製品開発担当者を「親しく」するために、デザインセンターは事業部の中に置かれることになったというわけですね。職能部門を本社や中央研究所に置くのではなく、事業部の中に置くこと。これは重要だと共感しました。なんてことないように見えます。しかし、とても重要であると思います。ここをイノベーションのポイントとして語る著者佐藤氏に感謝申し上げます。職能部門におかれる人間の本音を甚く刺激してくれるくだりであります。


【3-2】第一歩が踏み出せる仕掛け

 なんらかのアイディアを持ったものが第一歩を踏み出しやすくさせる仕組みも巧妙に設計されている。

 「デザインセンターは以前から、デザイナーが自ら感じている課題があれば、センター内にアナウンスし、共感者がいれば自由にタスクチームを作り、活動していうことを奨励してきた」(p.191)

そして、事業部に向けては「社内開発デザイン展示会でコンセプトモデルを発表」(p.195)するような仕組みもあるようだ。

【3-3】誰かが共感する仕掛け

 本書の第七章のEMP-TWD1という製品の開発物語では、アイディアに共感して人が協働したという経緯が紹介されています。

 これまた経営の側が人が人に共感するような機会をうまく用意しているということに感心致しました。ある人間が何かを思っていたとしても、それだけでは他人には見えない。見えなければ共感もできない。ここが重要であると理解しました。「その姿に周りの人間が気づき、関心を持つ」(p.224)というプロセスがとても重要です。これこそが
「自発的なアイディアが実をむすびやすくするための装置」(p.229)というものなのだと理解しました。

【4】職能部署に所属する人の本音

 それにつけてもセイコーエプソンのデザインセンターという組織の置かれ方は見事だと思います。デザイナーに限らず、職能部署に置かれがちな職種の人々の本音を実につかんでおられると感心します。

 職能の部分だけ徹底すれば、それはもう社外化独立しかないわけです。大多数はそんなことは望んでいない。セイコーエプソンの本業のど真ん中で力を発揮したいと切望しているはずであります。本書に描かれている、デザイン部門を事業部の中に置くは、職業人の気概を実によく理解した施策であると思いました。この部分、イノベーションがどうのこうのというよりも、職業人への遇し方、処し方という点ですばらしいと思いました。

【5】感謝

企業の中の個別の組織について、これだけ内側の目線から描かれたものは少ないと思います。

 このように具体的に一企業の組織のことを紹介してくれる本はめったにありません。著者佐藤氏に感謝申し上げます。