外山滋比古『思考の整理学』ちくま文庫〔1986.4〕原著は筑摩書房〔19
外山滋比古『思考の整理学』ちくま文庫〔1986.4〕原著は筑摩書房〔1983〕を読みました
【1】一言紹介
考えをまとめるにはどうしたらよいのか、という本です。
【2】メッセージ
冒頭に「人間にはグライダー能力と飛行機能力とがある」(p.13)とあります。著者によれば、グライダー能力というのは「受動的に知識を得る」(p.13)能力のこと。これは「目標がはっきりしているところでは」「高く評価 される能力」(p.15)とのこと。一方で飛行機能力というのは「創造能力」「問題作成の力」(p.21)であり、「自分で物事を発明、発見する」(p.13)「新しい文化の創造」(p.15)の能力のことです。
本書はこの飛行機能力をつけるにはどうすりゃいいんだというのがテーマとなっています。
読者私はこの「飛行機能力」は、新しい考えをまとめる能力、といった意味と捉えました。あとがきには、「めいめいが」「エッセイストのようになることだ」(p.223)という著者のメッセージがあります。後述しますが、これは、とにかく書いてみることが重要ということらしい。
【3】 組立
随筆風の文章が自由に並んでいるようで、実は「思考整理」の工程に沿ったアドバイスとなっています。
段階としては、考えというのは
(1)ぼんやり、断片的
↓
(2)くらげなす、ただよえる状態
↓
(3)さだかな形
という段階をたどるそうです。もちろん(1)や(2)で次工程に至らず消滅してしまうものもあります。
本書の章立ては大きく6つに分かれていて、この(1)→(2)→(3)をたどる工程でのアドバイスをしてくれています。工程全体は化学反応式風に書くと下記のような感じと捉えました。
(1)ぼんやり段階 (2)くらげ状態 (3)さだかな形
素材+酵素→(醗酵期間)→よい考え→(書いてみる)→推敲→題名決まり
↑
触媒 =「考えること」
おしゃべり =整理・統合・抽象化
拡散的読書
無意識の作用
第一章目は「飛行機能力」と「グライダー能力」の説明をしてくれています。定義の章というところ。ただし、この中でも、考えるのは朝がいい、それも朝飯の前がいい、といった実践的?なアドバイスもあります。
第二章目は上の工程図の中の酵素と醗酵期間を説明してくれます。「麦がいくらたくさんあっても、それだけではビールはできない」(p.31)というわけで素材だけ集めても駄目だというわけですね。 ヒントが無ければ駄目だと。さらに醗酵期間が大事だとあります。「寝させる」(p.36)というわけです。なにしろ「寝させるほど大切なことはない」(p.40)とあります。まるで育児のようです。
この醗酵期間に作用するものとして、「触媒」があるそうです。それが「個性」であり「精神」なんだとあります。ここは難しいところです。「触媒」というと ころがミソで、主観が強くてはだめだとあります。それじゃあ「触媒」じゃない、「素材」になっちゃうというわけです。勉強になるところです。「寝させる」といっても忘れているだけではなく、「主観や個性を抑えて、頭の中で自由な化合がおこる状態を準備することにほかならない」(p.59)とのこと。「無意識の時間を使って」「考えを生み出す」(p.41)ということだそうです。
第三章目は考えを「整理・統合・抽象化」(p.78)するプロセスを説明してくれています。著者によれば「メタ化」です。カードやノートといった手段についてもふれらています。
第四章目は「とにかく書いてみる」ことを奨めておられます。書けば推敲もできるし、ほめてもらうこともできると。そして思考整理の完成の究極は「表題」「題名」だとあります。
第五章目は「触媒」についてです。垣根を越えたおしゃべりが大切だとあります。この垣根を越えた、というところが重要で、本題をしゃべってしまっては駄目だそうです。暖めているネタはしゃべらない。しゃべるとそれで終わってしまうというわけです。
垣根を越えたおしゃべりというのは、最近の流行であるイノベーションの論議の先駆けのような印象を持ちました。「気心が知れていて、しかも、なるべく縁のうすいことをしている人が集まって、現実離れした話 をする」(p.158)というわけです。なかなかこの条件を満たす関係というのは難しいですが、確かに楽しいものです。談論風発、竹林の七賢人みたいなやつですね。著者は「物理の散歩道」で有名なロゲルギストの例を挙げておられます。
読者私はサラリーマンですから、このあたりは難しい。組織の常として、本書にある大学と似て、企業内も「同一分野の専門家をまとめて単位」(p.167)とすることが多いです。このことによって「創造力はおとろえてくる」(p.170)のも体感しています。
第六章目は知的活動をナマの生活と断絶させてはいけない、とあります。「仕事をしながら、普通の行動をしながら考えたことを、整理して、新しい世界を」(p.196)とあります。こうした思考の結晶として「ことわざ」を高く評価されています。
また、拡散的思考が大切として、読書においての「読み」も筆者の意図を理解するだけではなく「自分の新しい解釈を創り出して行く」「拡散的読書」(p.208)の効用を述べられています。
【4】収穫
読者私は、特に「寝させる」ところは参考になりました。このあたり、私は敗因分析として読みました。サラリーマン仕事の中で「考えをまとめられなかったケース」を思い出してみると、思い当たるフシがあります。
コンサートに出かけても、曲が頭に入ってこないほど、考え詰めてしまったことがありました。こういうときは結局うまくまとめられなかった。著者がいうところの「見つめるナベは煮えない」(p.38)というやつだったんですね。ナベを見つめすぎでした。
それと我田引水だったのかもしれません。カクテルが上手にできなかった。「AからDまでとXをすべて認めて、これを調和折衷させる。こうしてできるのがカクテルもどきではない、本当のカクテル論文である 。すぐれた学術論の多くは、これである。人を酔わせながら、独断におちいらない手堅さ」(p.47)というくだりは耳が痛いです。
ではどうすれば忘れられるのか?テーマを他に持っていなければなりませんね。一つのテーマだけ扱っていてはナベを見つめることになってしまいます。
以上
ヒュー・ロフティング『ドリトル先生航海記』岩波書店〔1960.9〕原著
ヒュー・ロフティング『ドリトル先生航海記』岩波書店〔1960.9〕原著は『THE VOYAGES OF DOCTOR DOLITTLE』〔1922〕を読みました。
【1】一言紹介
ドリトル先生はお医者さんで博物学者。動物と会話ができるというスキルを持っています。この先生の助手が少年であるトム・スタビンス。さらに同乗者であるバンポ氏や猿、犬、オウムと航海するという冒険譚です。めざすは「クモサル島」という動く島。とても偉い人なのに、やさしくて、鷹揚で、威張らない。けれども、イザというときは強くて、人望がある。道中でいろいろな問題を解決します。そして、動く島「クモサル島」ではなんと投票で王様にさせられてしまうというお話です。
【2】メッセージ
このお話を書くとき、著者ヒュー・ロフティング氏には子どもに伝えたかった美徳が念頭にあったのだと思います。読者私は下記のような美徳ではないかと推測します。
(1)威張らないということ
(2)自由を愛するということ
(3)やるときはやる、つまり戦うということ
(4)困難があったときも超然悠然としていること。動じないこと。
(5)問題を解決するにはコミュニケーションが必要であること
(6)美徳を持って生きれば運もついてくるということ
ドリトル先生はこういう人でありますから、人望があります。オウムのポリネシアがトムに語ってくれています。「先生といっしょなら、いつだって安全です」「ぶじに目的地に着くことだけはまちがいありません」「たいていは、終わりにつごうよくゆくようになるのです」(p.187)
【3】組み立て
お話の流れは、出発前→航海の様子→島に流れ着く→島での戦争にまきこまれる→王様になる→脱出という流れです。
【3-1】自由
その節々で「自由」ということの価値を語ってくれます。
ドリトル先生はいろんな動物と一緒に住んでいるのですが、ライオンやトラはいません。それはなぜかと訊いたトム少年に答えます。「おりにとじこめられたライオンやトラは一頭もいてはならんのだ」(p.74)と。
航海中の挿話には銀色フィジットという魚のお話があります。航海中に海からすくいあげて桶の中に入れた魚です。この魚が先生と会話、身の上話をするのです。兄妹でとらえられて水族館に入れられて退屈な日々を余儀なくされます。しかし、死んだフリをして、命がけで海に脱出するのです。この挿話は自由への脱出の物語であります。
そして、後に先生が動く島から脱出するときに世話になる「大海カタツムリ」( the Great Glass Sea Snail)はこのフィジットが紹介してくれるという流れになっています。
【3-2】問題解決
全編を通じて問題解決には動物とのコミュニケーションが効いて来ます。裁判の証人に犬を起用して、ルカを無罪にする話。航海の途中で立ち寄ったカパ・ブランカ島で牛と打合せをして闘牛に勝つ話。動く島が南極に流れているのをクジラが止めてくれる話。すべて動物とのコミュニケーションが決め手です。
【3-3】やるときはやる
先生はやさしい人ですが、やるときはやります。「村が攻撃されるとあらば、防ぐお手伝いをいたさねばならん」(p.300)といって「こん棒をひろい」(p.300)戦います。このときもオウムのポリネシアの口利きで黒オウムの大群が助けてくれます。そして敵であったバグ・ジャグデラグ族と交渉して講和を結んでしまいます。
このやるときはやる、というのが重要な教訓になっているように思います。
【3-4】そして本業に戻る
最終的には王様の立場から逃れて、島から脱出することになります。先生はコンサルテーションをしたんですね。初期の運用のお手伝いをしたんですね。運用になったら当事者の責任だというわけです。これがドクターとしての責任範囲であったというわけなんっですね。
こんなことは現代日本の製造業の現場にもよくあることだなあ、と、ふと、読者私も我が職業を振り返ったりもしました。
【4】名場面
トムが先生の弟子、助手になりたいとオウムのポリネシアに相談するシーンがいいです。先生には病気の動物の面会が押し寄せてきています。なぜ動物は他の医者に行かないのかと問うトムにポリネシアが答えるセリフがあります。
どういうわけなのか、読者私の心に沁みるセリフです。
「動物のことばを知らない動物の医者が、なんの役に立つのか、ちょっと考えれば、すぐわかることです」「あなたや、あなたのおとうさんは病気のとき、人間のことばのわからない、そして、どうしたらよくなるかということも話せないお医者さんに、診察してもらいにゆきますか?」(p.63)
トムはどうすれは動物のことばがわかるのかを訊きます。この問いへのポリネシアの答がとても美しいです。
以上
山本七平『一下級将校の見た帝国陸軍』文春文庫〔1987.8〕原著は朝日
山本七平『一下級将校の見た帝国陸軍』文春文庫〔1987.8〕(原著は朝日新聞社〔1976.12〕)を読みました。
【1】一言紹介
著者が1976年時点で1942-1945の体験を振り返り「日本軍」特に「帝国陸軍」を分析した書です。
著者が属した組織は「日本軍」であり、体験された現場は
(1)1942年の徴兵検査
(2)1943年の豊橋第一陸軍予備士官学校
(3)1944年の輸送船→フィリピンのルソン島の戦場
(4)1945年のルソン島収容所
であります。
本書に書かれた体験は凄絶なもので、現代の読者−私ごときにはとても想像もできないようなものです。
ただそこで感じたことを1976年の時点で論考された「組織や人間の分析」、「日本と欧米との文化比較」は深く納得できるものでした。名著であります。
【2】メッセージ
筆者山本氏が属した組織であった日本軍、帝国陸軍を分析しておられます。
(1)現実の前提の変化に「対処しそこな」(p.168)った組織だった。
(2)だからリアリティを無視した虚構の組織であった。
(3)だから戦争に対処するよりも「組織自体の日常的必然」といったもので無自覚に“自転”していた(p.47)
(4)だから上は不可能な虚勢を張った命令を出し、下は要領で形式的な員数だけの報告をしていた。
(5)同調する者としか口をきかなくなり
(6)自分の「見方」にだけ従ってあらゆる問題を「片付けて」、結局、自分を「片付けた」
(7)「事実」を口にした者には、その口を封じた。
(8)この虚構の組織で力を持った人は「演出力」のある人であった。
「気魄」を連呼して、人々を虚構に導いたのだ。
(9)日本の将官には事実認識の能力、独創性・創造性、自己評価の能力が欠けていた。
(10)だから国際的な事件である戦争には対処不能であったのだ。
読者私は著者とはくらべものにならないほど安穏に馬齢を重ねておりますが、この著者の組織分析には、なにか思い当たる点を感じます。現代の会社組織の中にもいくつかあてはまる点があるように感じました。
分析の背後にあるメッセージは「われわれにはわれわれの生き方がある」(p.96)「端的率直に言っておけば何でもないことを」(p.288)ではないかと捉えました。あとがきでも「いかにすれば」「リアルでありうるか」(p.344)と言われておられます。
読者私にとっても課題であります。「いかにすればリアルでありうる」のか?苦しい課題です。
【3】組み立て
著者山本氏が戦場という現場で体験され、感じた心理を1976年時点から分析する、という組み立てになっています。
戦場の現場から
(1)自分の感じたことについて人間というものはこう考えるのではないか、
(2)所属していた組織については本質はこうではないか、
(3)そこで出会った様々な人間像について、その行動の要因はこうではないか、
(4)さらに収容所の現実について、日本と欧米の文化はどう異なるのか、
といった論考に進みます。
更に、著者は、分析された組織の本質や人間の心理は現代の日本にも通ずる問題であると各所で述べられておられます。
(4)の比較文化の部分は昨今のモノづくり論の中によく出てくる「擦り合せかモジュールか」といった論点にも通ずるものがあります。
【4】魅力
日本軍の本質を厳しく抉っておられる点も説得力に満ちています。ですが、私が最も惹かれるのは、凄絶な現場、こんなときに人間はこう考えるものなのだ、といった論の部分です。
「宿命的にものごとを受けとると、人は、死に対すると同様、それを見まい考えまいとする」(p.10)
「ショックを受けても、日常生活に変化がなければ、人はすぐショックを忘れる」(p.58)
「昨日の如く明日があると、破局の瞬間まで信じている」(p.60)
「置かれた実情が余り苦しいと、未来への恐怖を感じなくなる」(p.67)
「完全に闇に包まれ、恐怖の対象が見えず、「いま」これで安全だとその位置を動けなくなる」(p.242)
「そこにじっとしていた方がいいような気持ちになる。それでいて、内心のどこかで、それがダメなことを知っている」(p.242)
著者の現場体験、そこで感じたこと、それを30年後に語るこの深い論考にとても迫力を感じました。
著者に感謝申し上げます。
【5】一番怖いところ
一番こわいのは、「帝国陸軍が必死になって占領しようとしている国は実は日本国であったという奇妙な事実」(p.310)にふれられている点でありました。なにかとても深いものを暗示されているように思えました。
以上
青木昌彦/安藤晴彦『モジュール化 新しい産業アーキテクチャの本質
青木昌彦/安藤晴彦『モジュール化 新しい産業アーキテクチャの本質』東洋経済新報社〔2002.3〕を読みました。
ソフトウェアの世界でオブジェクト指向という言葉がちょっと流行していたことがありました。ものごとをオブジェクトという役割の単位で切って考えよう、中のいろいろな手続きは隠蔽されているのがよい。やることをやってくれるような単位としてオブジェクトという「何をどうする」という機能で考えてゆきましょう、という考え方でありました。いまはそれほど流行してはいなくなっているようです。まあ代わりにSOAなんていう言葉は定着しているようであります。
一方で産業界の方ではフラット化とかガラパゴス化という言葉は流行しているようです。
世界がフラット化しているのに、日本はうまくついていっていないからガラパゴス化してしまうのだ、というような論調はよく目にします。本書は2002年に出ておりますから、そのような論調のサキガケのような本ではないかと思います。
製品の構成がモジュール化すること、その生産プロセスがモジュール化すること、そして、組織がモジュール化すること、それらを整理整頓してくれる本です。交通整理にいいです。著者に感謝申し上げます。
【1】メッセージ
モジュール化とは要素の分解である。デザインルールを明示的に決めておけば、そのルールの中で、分解された要素であるモジュールを個々に分業で用意することができる。そうすれは変化にも柔軟だし、リードタイムも短くなるというわけだ。ただモジュール化するには、特性をよく理解していなければならない。そして相互依存関係が無いうようにうまく分解しなければならない。うまくモジュールができれば工程もモジュール化することができる。そうするとアウトソーシングもできるというわけだ。日本は現場技術者が優秀だから、相互依存関係の調整が上手だという競争力があったのだが、モジュール化が進むと、それが発揮しづらくなってしまう。
実際にゲーム、自動車、半導体製造装置などでモジュール化が進行している。日本は擦り合せ型とモジュール型とをよく見極めて、得意なところで攻めなければならない。また製品がモジュール化されていても、企業内はコンカレントに情報共有を行えることが競争力に結びついている。組織をモジュール化することとは連関しない。
モジュール化が進むと、企業の役割はアーキテクトとモジュールサプライヤーに分かれる。日本はほとんどがモジュラーサプライヤーである。
【2】組み立て
さすがに優秀なる官僚の方の編集だけに、構成は巧みであります。冒頭に全体の俯瞰もあり、モジュール化とは何かという論考がまずあって、それから実践的な事例がいくつか紹介され、最後はパネルディスカッションのライブという心憎い構成であります。
【3】細部
2002年に出版されていまして、この段階で三次元CADが大きく期待されていたことがわかります。何人かの方が三次元CADが変化を加速させる役割であろうと述べておられます。
「CADは、こうした新しい実験への新たなうねりを技術的に促進するだろう」(p.46)
「自動車産業の場合も(中略)部品開発への三次元CAD導入(中略)など一定の構造変化が見られた」(p.170)
「三次元CADによるデジタル処理の浸透度が大幅に進んでくると、サプライチェーン全体としてみたときに、これまでの景色が一変してしまう可能性も秘めています」(p.284)
2009年の今で考えると、三次元CADは「部門間の情報共有を積極的に図るための制度導入」(p.239)「情報共有のための設計審査制度」(p.240)というところに効いているように感じます。いわゆるバーチャルデザインレビューですね。
以上
ジョナサン・スウィフト『ガリバー旅行記』岩波文庫〔1726〕(岩波文
ジョナサン・スウィフト『ガリバー旅行記』岩波文庫〔1726〕(岩波文庫は1980年発行)を読みました。
面白い本です。面白いということが大事です。面白いことに十分に感謝します。面白く無ければ約300年前のイギリスから、今日の日本の読者(私)のところまで、本書が伝わることは無かったでありましょう。
著者からうけとめたのは「言葉への信頼」「物語に託すという気持ち」というようなものでした。著者が順境でなかった(と思われる)時期に、言葉のもたらす効果に賭けたこと、フィクション、笑いの可能性・力を示してくれたことに感謝いたします。読者(私)はこの可能性におおいに感銘致しました。
【1】大筋
この物語の柱は最終章である「フウイヌム国渡航記」だと思います。
第一章、第二章は有名なリリパット国(小さい人の国)のお話とブロブディンナグ国(大きい人の国)のお話です。ここで「人間の行動や感情を今までとは一変した角度から眺め」(p.364)ということへ読者を慣らしてくれます。リリパット国とブロブディンナグ国のお話があるからこそ、読者はラピュータ、バルニバービ、フウイヌム国に入ってゆけるのだ、と思います。
「フウイヌム国渡航記」はまとめると下記のようなお話です。
(1)ガリバーはフウイヌムの国に流れ着いた
(2)ガリバーはそこでフウイヌムの主人との対話を通じてフウイヌムを尊敬した。
(3)ガリバーは美徳の国フウイヌムの国でヤフーの本質を理解した
(4)ガリバーはフウイヌムからみればヤフーとみなされてしまう宿命があった
(5)ガリバーはフウイヌムの国で一生を送りたいと願った
(6)だが、ガリバーはフウイヌムによってヤフーとして退去を勧告される
(7)ガリバーは帰国後は軽蔑するヤフーの中でヤフーとして暮らさなければならなかった
【2】動機を推測
本を読み進むにつれて、著者がなぜこの本を書いたのかに興味が募りました。書いた動機を推測したくてしかたがありませんでした。
推測は以下です。
(1)これを書いた頃、著者は何かにとても腹を立てていた
(2)それは身体に変調をきたすくらいの怒りであった(完全な邪推です)
(3)どうしたものか。いっそ自暴自棄な行動をするかどうかも十分迷った(完全な邪推です)
(4)その憤怒をどうしようかと考えた。最終的には、その憤怒を言葉によって昇華しようとした
(5)だが、言葉といっても愚痴や告発調の文章では芸が無い。
(6)いっそ笑えるものにしようと思案した。
(7)大笑いした上で、しかも著者のメッセージも伝わるようにしようと本書を企画した。
では、著者の身に起きた怒るべき事態とは何か?
現時点では読者私にはジョナサン・スウィフトについて知識はまったくありません。
本書を読み、推測をするしかありません。下記のように推測しました。
(1)著者はとても意に沿わぬ境遇に置かれた
(2)著者が最も軽蔑する悪徳な母集団の一員にされたのではないか
(3)外部からみると著者はその母集団の一員であると見えてしまう
(4)だが、著者の内面の美徳はその母集団の持つ特性とまったく相容れなかった
そこで、このようにストーリーを組み立てたのではないかと推測しました。
(1)その軽蔑すべき悪徳の母集団をヤフーと見立てた
(2)著者の内面にある美徳をフウイヌムと見立てた。
(3)ただ特定の集団や組織を想像させるのは野暮なので避けて
特定の集団・組織を思わせぬように工夫をした。
→ヤフーを人類全般に広げた。対象を広げた。
→フウイヌムを「馬」として突飛な設定とした。
(4)喜劇的な効果を十分に狙った。
(5)その喜劇の中に主題・メッセージを織り込んだ。
このストーリーは喜劇的には書いてあるけれども、とても毒が強いものです。
そこで、この毒の強い「フウイヌム国渡航記」よりも先に、どちらかといえば絵が面白いタイプの2つのお話、リリパット国とプロブディンナグ国の紀行を書いたのではないか。この2つのお話が面白く、この2つがメインで後世まで語り伝えられるほど面白いというあたりが芸の力だと思います。さすがです。
石川和幸『「見える化」仕事術』ディスカヴァー・トゥエンティワン
石川和幸『「見える化」仕事術』ディスカヴァー・トゥエンティワン 〔2008.12〕を読みました。
【1】一言紹介
著者石川様はコンサルタントであります。企業の現場志向型の業務改革を真骨頂とされている方であります。この分野では我が国屈指の方であると思います。本書では仕事における「見える化」の方法について簡潔・明快かつ実践的に整頓してくれています。
【2】メッセージ
昨今はすべての仕事がプロジェクト化している。考える仕事が主流になってきている。だから良い仕事をするには、思考プロセスを見える化する必要がある。そして他者とのコミュニケーションを効率化をする必要がある。実は自分とのコミュニケーションも効率化が必要だ。こうした問題には「見える化」の手法が有効だ。そして、それは特殊なことではない。誰でも普通にできることだ。意外にやられていないことでもある。
【3】組み立て
仕事を「作業か思考か」「繰り返しか個別か」という座標軸で類別されておられます。そのそれぞれの象限に応じて、利用する「見える化」の手法を対応させておられます。
【4】感謝
本旨である各種の手法の紹介はすばらしいです。加えて、実戦経験を踏まえた知見に控えめにふれておらえるところがいいです。MECEと因果探索との微妙な違いについて触れてくれているくだりがありまして、私はここは勉強になりました。類別してレベルを合わせるべきときと、要因分析を深めるときではスタンスを変えなければならない、ということが改めて理解できました。感謝申し上げます。
【5】文体
いつもながらまっすぐな美しい文体です。本書は各章が問いかけスタートになっています。「〜ではないでしょうか?」といった具合です。このあたり、著書を重ねられていっそうスタイルが洗練されているなあと印象に残りました。
また粋な表現もあります。「「見える化」とはあなたの思考を、コミュニケーションのための「思考の乗り物」に乗せることなのです」(p.8)「「見える化」したあるべき姿が、みんなの力を結集し、その方向に向かってゆく誘導装置になります」(p.181)なんて粋です。
【6】私の個人的読み方
私の読み方は「対偶読み」です。著者石川様によれば、コミュニケーションするためには「見える化」する、改善するためには「見える化」する、というわけです。対偶を取れば、「見える化」していない人はコミュニケーションしたくない人、改めたくない人だ、となります。
現在、私は仕事上の関係で、ある企業のある部署の方々とよく話をします。この方々が徹底的に「見える化」しないという習性を持たれています。私が「見える化」的なことを言うととても憤慨されることが多いのです。私には、これがなぜであるのかわからなかったのですが、本書を「対偶読み」してよくわかりました。
ご自分たちのなさっていることが実はどうもあまりたいしたことなさそうだ、と本当は気がついているんですね。けれども、そうは思いたくないのですね。自分でもそれを忘れていたい、さらに他人にはなるべく見抜かれたくない、見抜かれるくらいなら遠ざかっていてもらいたい、なんとか現状を温存しておきたい。となれば、思考したくない、議論したくない、行動したくない、問題解決はしたくない、改善をしたくない、となります。一方で「見える化」手法は思考、議論、アクションプラン、問題解決、改善のツールであります。当然天敵だ。
こういった習性の方々のフィールドでは「見えない化」の仕組みがちゃんとできています。本書の対偶を取ることで、「見えない化」の工夫が摘出・発見できました。著者に感謝申し上げます。
本書の「対偶読み」で「見える化」したくない人が何を防ごうとしているのかが了解できました。下記に私なりに整頓してみました。
防ぎたいこと
(1)思考の防止
(2)議論を防止
(3)アクションプランを防止
(4)問題解決の防止
(5)自分の仕事の改善の防止
「見えない化」の工夫
(1)思考の防止
考えたくない← 考えにくくしておく
← 考えていることを絵に書かない、口で言うだけにしておく
思考を蔑ろにしたい← 過去の思考の結果は残さない
(2)議論を防止
議論したくない← 活性化させない仕組をつくっておく
← 堂々巡りさせる
← ホワイトボードは置かない
議論に入りたくない← 前提を築かせないようにしておく
← 範囲、定義をあいまいにしておく
議論を重ねたくない← レベルをあげないような仕組みを作っておく
← 記録に残さない
他人の考えをききたくない ←思考プロセスを明らかにしない
(3)アクションプランを防止
主体になりたくない← 実行の主体、責任の主体にならないようにしておく
← 手順を作らない
不作為を保ちたい ← 着手を防ぐ
(4)問題解決の防止
言われたことをするだけにしたい← アクションは上から決めてもらう
← 問題解決はしない
問題の原因は探らない← 因果関係は展開しない
(5)自分の仕事の改善の防止
問題は隠したい←進捗をわかりにくくしておく
←欠陥を気付かせにくくしておく
←実態を俯瞰しにくくしておく
仕事の中身は他者に教えたくない←他者との共有しない仕組を作る
←思考のプロセスはわからないようにしておく
仕事は自分だけにしかわからないようにしたい
←仕事を底あげしにくくしておく
失敗はできるだけ人のせいにしたい
←仕事はわかりにくくしておく
←失敗したら担当者の属性のせいにできる
現在の仕事を改めたくない
←客観的に見えない仕組にしておく
←新人には教える側の手間を多くしておく
←全体像をわかりにくくしておく
←「突っ込みどころ」をわかりにくくしておく
戦略を検討したくない ←マトリクスを作りにくくしておく
【7】改めて
このような思考をめぐらしてくれる本書の著者に感謝申し上げます。
以上
榊原清則、香山晋 編著『イノベーションと競争優位』NTT出版[200
榊原清則、香山晋 編著『イノベーションと競争優位』NTT出版[2006] を読みました。
【1】一言紹介
デジタル機器産業では日本企業には画期的な先進技術がある。その技術を以って新製品を出してきた。だが、収益が上がらなくなってきた。それはなぜか?どうすればいいか?という本。
本書は日本の製造業の現代史です。デジタル機器産業の今日までの約四半世紀の歴史書です。力作です。編者の方はこの期間に製造業に起きたことを丁寧にまとめておられます。執筆者にはアカデミズムの方と実業の方の両方おられるようです。この方々の書いた事例・分析の章は圧巻です。
読者私の個人的事情ですが、この四半世紀は自分の製造業サラリーマンとしての期間とほぼ一致します。読者私にとっては、自分の職業人としての期間に、何が起きていたのかを教えられる書でした。大変興味深く読みました。
【2】メッセージ
私は編著者のメッセージを下記のように受け止めました。
(1)デジタル機器は先進技術の分野である。日本が成功してきた分野だ。
(2)90年代中盤以降、ノウハウが詰まった部品や設備が流通するようになった。
(3)そうなると、製品の構造上、組み立てるだけなら誰でも量産できるようになった。
(4)だから先進技術で新しい製品を作ってもすぐにキャッチアップされてしまう。
(5)コモディティ化する。価格が下がる。収益が上がらない。
(6)だからといって更に先進技術の商品開発をしても、更に速く追いつかれる。
そういう技術だけの戦略では息切れする。投資の資金も底をついてしまう。
こういう世の中になってきた。
(7)ではどうすれはいいのか?
(8)技術を商売にできるマネジメント、MOTが必要である。
(9)成功するには、国際的に外部とうまく組めなくてはならない。
(10)あるいは顧客ニーズへの対応において差別化できなければならない。
(11)その前提になるのは、ビジネスプロセス全体、チェーン全体のオペレーションで利益を上げる
という戦略・能力である。
(12)更にその前提となるのは人材だ。
(13)それには教育ではチームワークを教えるのがよい。日本のMOTは工学に偏っている。
【3】組み立て
本書の組み立ては
(1)問題提起
↓
(2)個々の具体的な産業での事例
↓
(3)角度を変えた分析;MOTの観点
↓
(4)まとめ
となっています。なんといっても本書の中心は(2)であります。ここに迫力があります。ここで編者は豊富な事例を用意してくださいました。これは貴重な論考であります。
【4】個々の産業の事例
扱われているのは、時計、PC、光ディスク産業、ハードディスクドライブ(HDD)産業、テレビ産業、半導体産業などなど。
特に光ディスク、HDD、テレビ、半導体の各産業についてはそれぞれ1章が設けられており、執筆者はそれぞれ下記の方々であります。
光ディスク 新宅純二郎、小川紘一、善本哲夫
HDD 天野倫文
テレビ 小笠原敦 松本陽一
半導体 香山晋
いずれの産業においても、
(1)モジュラー化が進み、
(2)擦り合わせ要素が減るにつれ、
(3)日本のシェアが下がっていった
という歴史が理解できます。そしてそれがいずれも90年代の中盤から起きていることがよくわかりました。著者に感謝申し上げます。
【4-1】産業を説明するアプローチ
本書が勉強になる点に、「産業を説明する語り口がすばらしい」という点があります。著者各位が、実に丁寧に、それぞれの産業をわかりやすく説明してくれています。
どの産業事例の章にも、
(1)製品の機能・構造がどういうものか
(2)部品表のおおまかな構成がどうなっており、キー部品は何か
(3)川上・川中・川下の間でのサプライチェーンがどうなっているか
(4)それぞれの企業の業務プロセス、特にエンジニアりングチェーンがどうなっているか
(5)それぞれの製品、プロセスがどう地域に割り振られ、企業間分担をされているか
(6)デジタル化の歴史軸・時間軸の中でどう変遷したか
という説明があります。産業の中の川上、川中、川下のサプライチェーンの概観はなかなか得難い情報です。著者に感謝申し上げます。
【4-2】起こったこと、対策
デジタル機器産業で起きたこと/事実がよく理解できます。
デジタル化の進行
ノウハウがファームウェアや生産設備にカプセル化される。
自社も部品を外販する。
部品が流通するようになるから誰でも買えて、完成品が作れるようになる。
ノウハウも教えてしまうからマネされる。
世界規模の市場でキャッチアップされる。
【4-3】打ち手として行われたこと
これに対する打ち手としては、下記のような対策が紹介されています。
デジカメ事業;商品によって自前部品利用か市場購入部品利用かを選別する
薄型テレビ事業;商品によってアライアンスを組むものと自前でやるものを分ける
光ディスク事業;部品外販と完成品販売との対立は外部資源との連携で解消する
HDD事業;本国ではできないような規模の量産を海外で行う
HDD事業;川上のメディアメーカーであれば納品先のドライブメーカーと緊密化を図る−地域的にも近づく
【4-4】企業現場の文化論
半導体産業の事例を執筆された香山晋氏は2006年当時の東芝セラミックスの社長さんです。経営の当事者による分析というわけです。この章は説得力溢れる魅力的な章です。
ここでは技術と経営のギャップということが取り上げられています。実に示唆に富んでいます。
半導体の技術革新の本質は「ソフトウェアとの結合」(p.215)だと著者は主張されている。このシステム・オン・チップ(SOC)の時代には膨大は開発費と開発期間短縮とが同時に要求される。この「本質的な不確実性」(p.227)をかかえたSOCがいかにも日本の企業らしい意思決定プロセスと合わないというくだりがとてもいいです。
読者私もサラリーマンでありますから、日本の「それって大丈夫だろうな」というようなスタンスの経営は目に浮かびます。これではとてもたちゆかないのだろうということもよく理解できました。植木等のスーダラ節の「わかっちゃいるけどやめられない」ではなく、「わかっていることが実行に移せない」(p.231)というわけですね。もう大企業である総合半導体メーカー(IDM)には「期待はできず」(p.231)というわけで、強い個人をベースとした集団が必要だと香山氏は主張されている。
大きなことは大企業の従来型のマネジメントではできないのだ、と理解しました。
【4-4】本質は?
「コモディティ化を前提として、改めてどこで収益を上げるべきなのか」(p.185)かを考えなければならない時代になったと理解しました。それは規模であるのか、サプライチェーン全体であるのか、サービス化であるのか、それは個々の企業のマターというわけです。
HDDであれば「規模に耐えうる体制を築いた企業が収益力を伸ばす」(p.142)ということだとあります。この文脈の中で納品先との緊密化ということが打ち手となります。生産規模維持のためには、安定的な供給先がどうしても必要なのですね。
生産するのは日本企業なのに、世界中に売る規模を作らないと負けてしまうというのがグローバル経済の宿命なのだと理解しました。
【5】分析の切り口
編者は、本書で、下記のような切り口を使われています。
(1)「モジュラー型、インテグラル型」という製品アーキテクチャの類別方法
(2)これに対する日本と新興国の組織能力の「向き・不向き」
(3)部材−部品−完成品
モジュール→アッセンブル という川上〜川下の類別の方法
(4)部品外販の光と影という観点
(1)と(2)については、日本企業がその組織能力の強みを発揮できるのはインテグラル型であるという見方がある。擦り合わせ型のノウハウが必要だからと説明がある。
であるのに、デジタル機器はライフサイクルのある時期にモジュラー化がおきる。モジュラー化とは「部品間のインターフェースが単純化すること、および部品と部品間インタフェースが産業内で広く標準化されること」(p.27)である。ここに至って日本はキャッチアップがされてしまうことになる。
一方でモジュール自体は擦り合わせ型でできているため、ここでは日本の企業の競争力は高い。この切り口は本書を一貫しています。
(3)と(4)についていえば、デジタル機器の日本企業は、部品事業と完成品事業という両方の事業を持つという構造だという観点が重要です。著者である延岡健太郎氏や新宅純二郎氏は、
(1)部品は工場投資が莫大であることが多いので
(2)「ペイ」するには売らなくてはならなくなる
という力学が説明してくれます。
これはパラドックスであり、なかなか深遠です。興味深いです。
【6】自分に引き寄せた解釈
本書のまとめにもありますが、業務プロセスは大事なのだ、と改めて感じています。
製品開発も重要だが、業務プロセスが重要ですね。(「業務プロセス」は「ビジネスシステム」という表現をされる方もいるようです)要するに開発、生産、営業、物流、商品利用、アフターサービス…といったチェーンの運営能力だと思います。既存の組織の単位ではなく、機能・プロセスの単位で考えなければデザインはできないものです。それぞれのプロセスをどこでやるのか、誰がやるのかという割り振りが重要です。
日本企業は擦り合わせ能力は高いわけですから、業務プロセスも隣接する機能の間で擦り合わせながら作りこむようなことが可能ではないかと思います。ですが、全体のチェーンとなると、なぜ難しいのか?ボトムアップでは進めにくいからだろうか。
【7】それにしても疑問
「販売費および一般管理費などのオーバーヘッドが大きな負荷となる日本企業」(p.21)とありますが、それではそのオーバーヘッドは何をしているのだろうか?これらのオーバヘッドは本書でいわれるオペレーションの仕組み作りには使われていないのか?ここが問題ではないか??このオーバヘッドは製品開発にのみ使われているのだろうか?
確かに、製造業の中では個々の技術は敬意を表される。いっぽうでプロセスを編み上げる仕事はなかなか動機維持が難しい。読者私も製造業のサラリーマンでありますから特に感じます。
【8】蛇足;記憶
読者私もかつて工場に勤務していました。製品は消耗材で、複数のケミカルプラントを経て生産されていました。本書を読むと、あれはまさに「複数工程間の調整、使用する部材による設備稼働条件などの擦り合わせ」(p.95)のたまものであったのだ、ということに思いがいたります。競争力とはあれだったのだと理解できました。
【9】余談
サラリーマンをやっていますと、よく社内の教育で「技術があっても、人とうまく組めなければダメ」などというのがあります。
個人もそうであれば、企業もまた然りなのかもしれません。デジタル機器産業の場合は「技術があっても、国際的に他社と協業できなければダメ」といったことが書いてあります。
個人の場合は、確かに、「技術があってもお金が無い人」、「芝居がうまくても売れていない役者」などはそこらじゅうにいます。このあたりを類推しながら読むこともできる書です。そういう人々は「協業がうまくないのか」と。
もっともそれは「コモディティ化」とは関係無い。「コモディティ化」の類推としては、「種明かしをしすぎて売れなくなった手品師」とか「生徒を増やしすぎて、エリートイメージがなくなってしまった予備校」といったことを想像致します。
以上